フィリピン慰安婦像撤去、中国「静かなる侵略」を阻止した意味

山岡鉄秀(AJCN代表)


 4月末、フィリピンの首都、マニラにある「慰安婦像」が撤去された。2017年12月に設置されて以降、日本政府は再三懸念を示していた。撤去後、ドゥテルテ大統領は「日本の償いは何年も前に始まった。侮辱するのはもうやめよう」と述べ、公共の場への設置に反対する考えを明らかにした。

 今回は北米に置かれた慰安婦像とは違い、大統領が行政を直接動かしたことや、日本の影響力が相対的に高かったことが撤去を可能にしたと言えるだろう。おそらく、一度設置された慰安婦像が撤去された初めてのケースであろう。

 この知らせに、胸をなでおろした人も多かったに違いない。雨後の竹の子のように建てられる慰安婦像には、明らかに反日的な意図が込められており、多くの日本人がウンザリしていたはずだからだ。一方で、今回の撤去に異論を唱える識者の記事もインターネット上で見受けられた。代表的なのは、ジャーナリストの江川紹子氏や毎日新聞の澤田克己元ソウル支局長だろうか。

 2人の主張はおおむね同じである。要するに「日本政府がフィリピン政府に対して、懸念を伝達したことは筋違いだ」というのである。その理由は、韓国とフィリピンの違いにあるという。

 例えば、ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦像は、2015年末に結ばれた「日韓合意」の精神に明らかに反し、ウィーン条約に違反するだけに、日本政府が抗議することには正当な根拠があると指摘する。しかし、マニラのケースは、大使館前に設置されたわけではなく、日本軍の現地女性に対する性暴力があったことは事実であり、「日本政府の撤去要請はご都合主義で横暴であり、かつてのアジア女性基金の趣旨をないがしろにするものだ」との批判を展開した。

 筆者は、慰安婦像の設置計画案に立ち向かう在豪日本人の母親たちをシドニーでサポートするため、4年前に非政府組織(NGO)を立ち上げたが、たとえ設置阻止に成功しても日系住民の過酷な現実は変わらない。そのNGOの代表として彼らの批判に一言申し上げたい。慰安婦問題は、もはや女性の人権問題とはかけ離れた「安全保障上の問題」と化しているのである。

2017年12月、フィリピンのマニラ湾に面した遊歩道に建った慰安婦像

 だからこそ、女性の人権を隠れみのにする「国家ぐるみの政治工作」に嫌悪と脅威を感じている。その実態は本来、民間の市民団体の手に負えるものではない。それでも、今回のマニラの慰安婦像を建てたのが「華人系」と聞いてピンと来なかったら、この問題の本質が理解できていない。

 軍事ジャーナリストのマイケル・ヨン氏が「『手袋』が韓国で『中の手』が中国だ」と指摘した通り、慰安婦問題の背後には中国がいる。中国は従来の「南京大虐殺」に「慰安婦問題」を反日情報戦のネタとして加えたのである。

 昨年建てられた米サンフランシスコの慰安婦像は最たるもので、完全に華人の主導だった。中国は最近になって「慰安婦の総数は40万人で、その半数は中国人だった」などと突然言い出し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録を目指している。

 慰安婦像の設置を阻止したシドニー郊外のストラスフィールド市のケースでも、華人による日本の戦争犯罪を糾弾する会が突然結成され、韓国側に呼び掛ける形で運動が始まったのである。こんなことは工作なしには起こり得ない。事実、筆者はこの件に工作員が活動していたことを把握している。

 しかし、像の公有地への設置に失敗すると、華人と韓国人はお互いを非難し合って分裂してしまった。「韓国人と組んだり、任せたりすると失敗する」と踏んだ華人が、韓国人を当てにせず運動を世界展開しているのが現状だ。

 さらに、慰安婦像を建てて「それで終わり」ということはない。次に始めるのが、慰安婦像を使った「洗脳教育」である。子供たちを像の前に連れて行き、日本はこんなひどいことをした民族だと教え込むのである。

 筆者の手元に『南京虐殺とその他の日本軍の蛮行、アジア-太平洋戦争 1931-1945』という分厚い英文教材の1巻と2巻がある。これらは、高校の教師向けに、いかに効果的に日本の戦争犯罪を生徒に教えるかを指南する教材である。

 慰安婦問題に特化した教材もある。始めは「偏見とは何か?」というような、いかにも教育的な内容である。だが、読み進めていくと南京事件や慰安婦制度をナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)と同列に格上げし、批判することも否定することも不可能にしてしまう。北米にはこういう教材を作成し、学校関係者に流布することを目的とする華人組織が複数存在する。

 なぜそんなことをするのか。それは中国の覇権にとって日本が邪魔だからである。実はこれらの教材を読み込むと、「米国は講和条約にも中国を含めず、常に中国を弱体化させようとする政策をとっており、そのために日本を利用している」という認識を持っていることが分かる。

 だから中国は、米国の敵視政策を改めさせ、日本との同盟を分断することを戦略的な目標としているのである。「主戦場」は北米だが、東南アジアやオーストラリアでも、同じようなスキームを可能な限り適用している。当然、韓国人の「反日感情」も利用できそうなところでは使う。あくまで慰安婦像の設置は、このような戦略的展開の一端に過ぎないのである。

 ところで今、オーストラリアで「サイレント・インベージョン(静かなる侵略)」という本が話題になっている。チャールズ・スタート大学のクライヴ・ハミルトン教授が、中国がいかに合法的にオーストラリアを実質的な属国にしようとしているかを調査、告発した本である。その内容は衝撃的だ。

 2008年、ハミルトン教授は、キャンベラの国会議事堂の外で、北京五輪の聖火リレーが通過するのを待っていた。そこで、チベットの自由を訴える小団体を、何千人もの中国人学生が暴力で圧倒する光景を目の当たりにしたという。だが、オーストラリア当局は何もできなかったのである。この光景は、まさに2008年に長野県で日本人が目撃したものと同じであり、明らかに組織的な行為だ。それがハミルトン教授の心に大きな疑念を抱かせた。

「台湾は中国の一部ではない」と言っただけで台湾人女性アルバイトが解雇されたという豪シドニーにある華人経営の火鍋店

 そして2016年、中国共産党とつながりの深い裕福な中国人ビジネスマンが、自由党と労働党というオーストラリア二大政党に対する最大の献金者であったことが発覚した。そこで、水面下で何か大きなことが進行していると確信したハミルトン教授が調査を始めると、驚愕(きょうがく)の事実が判明した。オーストラリアの政策、文化、不動産、農業、大学、組合、そして小学校に至るまで、全て中国共産党の影響が及んでいたのである。

 オーストラリアは「経済には中国の存在が重要だ」と歓迎し、資源バブルに浮かれている間にすっかり取り込まれてしまった。今ではオーストラリアを最初に発見したのが、キャプテン・クックでもアベル・タスマンでもなく、なんと明代の武将である鄭和(ていわ)だったとまで公然と主張されているという。

 オーストラリアの自由主義と多文化主義を逆手に取った、中国による「静かなる侵略」が深く進行しているのである。2005年にオーストラリアに政治亡命した元中国シドニー総領事館の一等書記官、陳用林氏は「オーストラリアは中国の浸透工作が最も成功した例だ」と述べている。

 確かに、女性の人権をうたう人は、往々にしてこの手の話が嫌いだ。数年前、アジア女性基金を主導した元理事に「慰安婦問題を語るには中国の活動も視野に入れるべきではないか」と進言したら、「あなたとは建設的な議論はできない。あなたの言うことは出来レースだ」と意味不明の暴言を吐かれたことがある。

 純粋に女性の人権尊重という「美しいテーマ」を見つめていたいのか、醜悪な国際政治の現実などはその瞳に映したくないのだろうか。慰安婦像を建てる活動家たちは皆、純粋に女性の人権を守り、記憶を引き継ぐために活動している、と信じたいのである。

 それなら、フィリピンも含めて、慰安婦像はなぜ日本人の裏をかくように、不意打ちのように建てられるのか。これまで「こういう像を建てたいと思いますが、決して反日ではなく、女性の人権全般に関しての意識向上が目的です。どうしたら民族間の対立につながらず、平和的なものにできるか、相談させてください」と一度たりとも申し出てきたことがあるだろうか。皆無である。

 活動家たちは、いつも後から言い訳がましく「これは反日ではない」などと主張するが、実際には何も知らない子供たちに「日本人はひどい民族だから憎んでもよい」と教えているのも同然だ。決して「これは歴史の教訓だから、日本人を憎んだり敵視したりしてはいけない。これは全人類の問題だ」とは教えていない。

 だから、特に主戦場である北米では、反日教育が浸透するにつれて、圧迫を受ける日系の子供たちが増えている。泣いて帰って来た子供の姿にショックを受けた母親たちからの悲痛な訴えをつづった手紙を筆者は何通も読んでいる。

 ある米国の中学校では、韓国系の生徒たちがだまされて慰安婦にされた韓国人女性が逃亡を企て、日本兵に刺殺される劇を演じ、動画にしてインターネットで公開している。それも学内コンテストの参加作品だったという。

 念のため断っておくが、筆者は慰安婦の存在を否定したり、東南アジアで朝鮮半島のような統制が効かずに戦時性暴力が発生した例があることを否定しているのではない。事実、日本人女性も実に甚大な被害を受けている。

 言うまでもなく、戦時下における女性の人権侵害は、すべての国を含む普遍的な問題である。だからこそ、誰も反対できないようなテーマを隠れみのにし、政治的工作を仕掛ける勢力が存在することを見逃してはならない。慰安婦像を支持する日本人活動家たちは、そのような政治的工作によって被害を受ける日系の子女や母親の人権は全く顧みない。

ジャーナリストの江川紹子氏

 それどころか、彼らは波風を立てたくない日本人が被害届を出さないことを逆手にとって「いじめなど都市伝説にすぎない」などと平気で主張する。筆者にはそのメンタリティが理解できない。しかし、被害は確実に広がっている。

 このような背景があるだけに、日本政府がドゥテルテ大統領に懸念を表明し、像の撤去を求めたことは当然であろう。戦時中に被害にあった女性たちへの同情や記憶の継承への誓いと何ら矛盾しない。それとは全く次元が異なる問題である。

 だからといって、大使館前でなければ像を建てても問題ない、ということにもならないし、フィリピンの慰安婦像だけが純粋な動機に基づいているとも言えない。慰安婦像撤去を非難する人々は、歴史認識を利用した「謀略戦」の矢面に立たされる日系住民の恐れと苦悩を理解していないのだろう。中にはストレスで病気になってしまった人も少なくない。

 そして、たとえ江川氏や澤田氏が純粋に善意に基づいた主張をしていたとしても、そのような主張は歴史問題を利用する勢力にとって非常に好都合なのだ。それは冷戦時代に西側の左派リベラル系の学者やジャーナリスト、活動家の言動がコミンテルンをはじめとする共産主義勢力に利用されてきた歴史と重なるからである。

ソース:iRONNA フィリピン慰安婦像撤去、中国「静かなる侵略」を阻止した意味




ノーベル平和賞・ICANとピースボートとの”蜜月“

ICAN/ピースボートの反核に名を借りた倒閣政治運動の真実を事実に基づき活写したAJCN山岡代表の記事です。月刊Hanada9月号に掲載されました。月刊Hanadaは官邸、政治家、官僚、ジャーナリストの間で最も読まれている月刊誌です。


AJCN代表 山岡鉄秀
宿泊費を肩代わり?
 6月12日の米朝会談を控え、北朝鮮が「シンガポールでのホテル代が払えないから第三国に肩代わりを求めている」という報道が流れて世界を驚かせた。
核兵器を開発する金があるのに、ホテル代がないなどということがあり得るのか、日本人の常識はもちろん、国際社会の常識においても、あり得ない屈辱のはずだが、専門家によれば、朝鮮半島の文化では特に恥ずかしいことではないという(重村智計教授「デイリー新潮」6月9日)。だから、私はかねてより、朝鮮半島の国家に対して「道徳的に優位に立つ外交を推進すべき」などという発想は全く無意味だと主張してきた。道徳的概念を共有していないのだ。
この北朝の求めに対し、米政府は即座に「肩代わりするきはない」との声明を発表した一方で、シンガポール政府が「考慮する」意思を示した。そして驚いたのは、あるNGOも代金の肩代わりを申し出たことだ。そのNGOとは、ICAN(International Campaign to Abolish Nuclear weapons)である。
ICANは核兵器禁止条約の制定に向けたキャンペーンを展開し、条約の実現に大きく貢献したとして、昨年、ノーベル平和賞を受賞したのは記憶に新しい。
スエ―デン出身のベアトリクス・フィン事務局長が来日し、「広島、長崎以外で同じ過ちが繰り返されていいと思っているのではないか」「条約に署名しない日本は世界で孤立する」などと、日本政府を傲岸不遜に非難したのを覚えている方もいるだろう。
また、安倍首相に面談を求めたが実現しなかったことで、「安倍首相が逃げた」かのごとく報道したメディアも目立った。安倍首相の外遊中の日程で、しかも直前の申し込みで会えないのは当然のことだったにもかかわらず、朝日新聞に至っては共産党・小池晃書記局長の「あなたは本当にどこの国の首相なんですか」という見当違いの発言を取り上げる始末だった (2018年1月15日) 。
 ICANも共産党も、核兵器で恫喝する北朝鮮に文章で正式に抗議し、核兵器の廃棄と条約批准を求めて記者会見を開くべきではないのか。それをせずに、世界で最も平和的で言論の自由が保障されている日本で言い掛かりめいた発言をするのは欺瞞でしかない。オバマ前大統領 がノーベル平和賞を受賞した時点で、ノーベル賞から平和賞を省くべきだと思ったが、今回その思いを新たにした。
 このICANというジュネーヴに本部を置くNGOの目的は、団体のホームページによれば、ひとつでも多くの国に核兵器禁止条約に批准させることである。その目的を遂行するために、世界中の市民社会を動員することを主たる活動とする。
 実際の組織運営は、趣旨に賛同するパートナー団体の共同運営だ。パートナー団体のなかから「国際運営グループ」(ISG)を形成し、参加グ ループの代表者(国際運営委員)の 合議で運営を担う。そのISGの指揮下に、個人からなる国際スタッフチーム(IST)を形成して実務を行う。
 
ICANのホームページによると、現在、ICANを運営する国際運営グループには下記の団体が参加している。
・ Acronym Institute for Disarmament Diplomacy (イギリス)
・ African Council of Religious Leaders ? Religions for Peace (ケニア)
・ Article 36 (イギリス)
・ International Physicians for the Prevention of Nuclear War (アメリカ)
・ Latin America Human Security Network (アルゼンチン)
・ Norwegian People’s Aid (ノルウェー)
・ PAX (オランダ)
・ Peace Boat (日本)
・ Swedish Physicians against Nuclear Weapons (スウェーデン)
・ Women’s International League for Peace and Freedom (アメリカ)
 
お気づきのように、ここで日本のピースボートが登場する。ピースボートは他の9団体とともに、ICANの実働部隊なのである。このピースボートを含む上記10団体は、昨年ICANがノーベル平和賞を受賞した際に、メダルと賞状の公式レプリカを授与されている。これら十のNGOのなかから、ピースボートを含む三つのNGOについて考察してみる。

ICANの正体を知っていますか (写真:朝日新聞デジタル2017年12月10日記事)


フェミニスト団体が運営
「 Women’s International League for Peace and Freedom」(婦人国際平和自由連盟)というアメリカの団体は、その日本支部のホームページによると、1915年(大正4年)、第一次世界大戦の 最中に、武器のない平和な世界を希求する欧米諸国の女性たちが中立国のオランダ・ハーグに集まり結成した世界で最初の女性の平和団体で、1946年にはすでにノーベル平和賞を受賞しており、スイスのジュネーヴに国際本部を置く。 
専従の事務局長と専従のスタッフが運営を管理し、国連ジュネーヴ本部でのロビー活動を行い、主に国連 人権理事会や国連軍縮会議を監視する本格的なNGOである。この団体のビジョンは「全ての人への平等と正義、そして、暴力と軍事衝突のない世界」を目指すこととあるが、団体が唱える「変革理論 (Theory of Change )」というダイアグラムを見ると、最終ゴールは「フェミニストの平和 (Feminist Peace) 」になっている。このことから、実態はフェミニスト団体であることが推察できる。 
そして、この団体の国際会長に、 2015年から日本女性が選ばれている。同志社大学の秋林  こずえ教授だ。私はネット上に投稿されている、2016年9月に米国アメリカン大学で開催された秋林教授の講演を聴いた。
「十九世紀まで独立王国だった沖縄は、近代化された日本に併合された。少数民族ゆえに政治力がないため、米軍基地が集中している」
「危険な普天間基地は米国では安全基準を満たせず、許可されえない。滑走路と学校が隣接している。だから事故が発生する」
「政府は1996年に普天間基地を5〜7年以内に移設することを発表したが、2016年のいまも実現していない」
 秋林教授は2015年11月13日に、神戸市中央区のJR元町駅前 で SEALDs KANSAI が開催した「辺野古新基地建設に反対する全国一斉緊急行動」にも参加している。 
誰でも、基地なぞなくて済めばそれに越したことはないと思う。しかし、莫大なコストをかけて基地が沖縄に存在しているのにはもちろん相応の理由がある。それは考えず、また、不法行為で基地の移転を妨害している極左活動家の批判はせずに、弱者の少数民族対横暴な国家権力という構造に単純化してしまう。 
隣国の覇権主義の脅威も思考の範囲に入らない。北朝鮮を非難せずに日本政府を非難するのと同じ構図がここにもある。まさに、SEALDs のメンタリティだということだ。

テロ支援団体まで!
 この例からも、予想どおり、左翼的思想を持った団体が多いことがわかるが、なんと外国政府から「テロ支援」の容疑で高額の罰金を科せられた団体もある。前掲のリストに載っている「 Norwegian People’s Aid 」(NPA)だ。ノルウェーの首都・オスロに本部を置くNPAは1939年設立の、紛争時の人道支援、紛争後の復興支援、地雷の除去などを行う大型老舗NGOである。 
今年4月4日のUPI通信によると、米国司法省は、米国にテロリスト指定された組織を支援した容疑で、NPAに対して200万ドル(約2億2千万円)の罰金を課した。司法省によると、NPAは2012年から2016年にかけて、アフリカの発展途上国を援助する名目でアメリカ合衆国国際開発庁 ( USAID ) から補助金を受け取っていた。 
だが、補助金を受け取る前に、米国にテロリスト指定されているイラン、ハマス、パレスチナ解放人民戦線、パレスチナ解放民主戦線に本格的な支援を提供していながら、それらの事実を隠し、虚偽の申請をしていたという。
 具体的には、イラン軍との一部合同で、イランにおいて地雷撤去プロジェクトを実施したり、ハマス、パレスチナ解放人民戦線、パレスチナ解放民主戦線に対して、〝今日の若者、明日の指導者“( Youth of Today, Leaders of Tomorrow )という市民参加型のプロジェクトの実施に資金援助したりした。 
このプロジェクトは、ガザ地区に住む前記政治団体に属する15歳から28歳の若者に、ディベートや交渉のトレーニングを提供し、より有能な政治活動家に育成することを目的としていた。これらは明確な規律違反だった。 
実は、NPAには前科があった。 1999年にノルウェーで放映されたドキュメンタリー番組によると、 NPAが使用する複数の航空機がスーダン人民解放軍(SPLA)に80トンから100トンもの武器や地雷を供給していたという。 
番組内でインタビューされたパイロットは、食料や薬、毛布などの救援物資を輸送するつもりで参加したが、実際には積荷のなかに大量の武器弾薬、さらに地雷が含まれていることに気が付いたと証言した。 
また、スリランカの国防省は、2002年から2004年にかけて、NPAがノルウェー政府公認でタミルタイガー(タミル・イーラム解放のトラ)を直接支援し、2006年のマビル・アル危機の際にも、停戦地帯で活動していたNPAが公然とタミルタイガーを支援していたと指摘した。
つまり、NPAは地雷撤去などの人道支援を行うNGOを標榜しながら、紛争当事者の一方に地雷を含む武器弾薬を提供し、紛争を長引かせていたのである。このような組織が ノーベル平和賞を受賞するとは、常軌を逸している。 
ノーベル平和賞は、五部門あるノーベル賞のなかで唯一、スウェーデン政府ではなく、ノルウェー政府が授与主体となっているのである。

日本の加害検証が目的
 そして、日本のピースボートである。ピースボートと言えば、現立憲民主党議員、辻元清美氏ら数名が1983年に設立して以来、安値とポスター貼りによる割引制度(地球一 周船旅のコスト99万円が、ポスターを3,500枚貼ればゼロ)をウリに乗船者を募り、35年間続いている団体だ。 
洋上プログラムには、水先案内人と呼ばれる講師陣によるカルチャー、ボランティア、平和活動等に関するセッションも用意されている。セッションの講師は筑紫哲也氏、加藤登紀子氏、鎌田慧氏、池上彰氏、 池田佳代子氏、宮台真司氏などといった面々。「平和っていいよね。平和憲法を世界に広めよう!」という趣旨で、船上で踊る「九条ダンス」が催し物の一つとしてある。
ここまで書いただけで、(ノーベル平和賞を受賞した)ピースボートがどのような団体か想像がつくが、そのピースボートが世界各地で核廃絶を訴える「おりづるプロジェクト」の一環として、第96回オセアニア一周クルーズを企画。2018年1月18日に横浜港を出港し、2月に豪州のパース、アデレード、メルボルン、ホバート、シドニーでイベントを開催した(ちなみに、ICANの発祥の地はメルボルン)。
 そこで現地のAJCNメンバー は、メルボルン(2月1日)とシドニ ー(2月5日)でのイベントに参加し、イベントで何が実際に行われたのかを確認した。配布された資料も すべて入手して分析した。
まず、配布されたパンフレット(英文)を見て驚いた。「ピースボートとは何か?」 (What is Peace Boat? )と題してピースボートについて説明しているのだが、設立目的として「ピースボートは、アジア太平洋地域における侵略者としての日本の歴史を検証することを目的に設立された」と書いてある。 
そして、ピースボートが取り組むプロジェクトが並んでいるのだが、なんとそこには韓国編として「元慰安婦の証言を聞く」というのがある。その記述を和訳して下記に示す。 〈第二次大戦中、比喩的に慰安婦と呼ばれる多くの女性が、特に韓国人女性が、日本軍によって性奴隷になることを強いられました。戦後の民主化活動に勇気づけられ、多くの元慰安婦が賠償と人権の認知を要求しました。
ピースボートは日本の過去、特にこのような教科書に載っていない恥ずべき過去について学ぶことが地域の和解と平和の鍵であるとの信念に基づき、女性たちの話を参加者と聞 プログラムを企画してきました〉(山岡訳)
 まるっきり北朝鮮と繫がりを持つとされる韓国の挺対協の主張である。パンフレットには、ピースボートに乗船してセレモニーに参加する元慰安婦の写真が載っている。

反日洗脳教育を実施
 さらに、「沖縄基地問題に取り組む」というのもある。
〈米軍基地は沖縄の人々にとって大きな重荷です。日本の南方に位置し、日本の国土のわずか0.6%しかない島に、日本国内の米軍基地の74%が集中しているのです。軍関係者による犯罪や暴力、そして騒音公害が地元住民に影響を与え続け、 常に事故のリスクが存在します。ピースボートはこの問題に対する意識を高めるため、地元住民の声を日本国内と米国に届ける活動を行っています〉(山岡訳)
 辺野古の反基地テント内で、ピースボート乗船者が反基地活動家の話に聞き入る写真が掲載されている。この辺りの活動は、前出の婦人国際平和自由連盟と重なる。
 さて、このようなピースボートに乗船したら、どんなことが待っているのだろうか?
ピースボート乗船経験が5回あり、マジシャンとして船上で営業していた柳田昌宏氏は、動画で次のことを証言している。
●セッションでは、反米反日洗脳教育が行われている。
●スタッフは、どれくらいの人間を変えたかの自慢話をしていた。
●ソマリア沖では、ピースボートを海上自衛隊が勝手に守ったと主張、口裏を合わせるよう強要された。
●乗船していた元自衛官は、インターネットでの自衛隊との情報交換を 遮断され、船室キャビンに監禁されていた。
●普段、個人では行けないような場所(北朝鮮含め)に行くことができるが、ピースボートが教えたいところ(国)しか見せてくれない。
 (https://www.youtube.com/ watch?v=vG7GLBFOnWs
 
実際の乗船者の半分以上は高齢者 (6割以上)で若者は少数(約2割) と、TV(TBS特番)で紹介されている。若者のポスター貼りボランティアによる割引分は、この正規料金を払う高齢者たちが負担していると解説しているが、ピースボートのターゲットはあくまでも若者たちであり、船という閉鎖空間で反米反日の洗脳が行われていると推察することができる。
このようなピースボートが行く先々で彼らを迎えるのは、必然的に政治的信条が彼らと類似した人々、団体である。メルボルンでは2017年6月11日に、地元の日系住民が企画した杉田水脈氏の講演会を妨害したとされるグループがイベントに参加していた。 
その中心人物とされる元広島市立大学広島平和研究所教授の田中利幸氏は、現在メルボルンに在住。「慰安婦制度は戦時暴力」と主張する田中氏は、渋谷で開催され、ピースボートも参加した2017年11月25日の日本軍「慰安婦」問題解決全国行動ろうそく集会にも参加した。彼は海外移住後も、毎年活動拠点であった広島でのイベントに参加しているが、視察した人によれば、昨年は天皇制打倒を声高に主張していたそうである。
 シドニーには、定住者中心の日本人クラブがある(JCS)。JCSは東日本大震災支援プロジェクトなどに熱心に取り組んでいるが、慰安婦像反対運動には「政治的活動はできない」として協力を拒んできた。
そのJCSが、会報誌に〝ICAN ノーベル平和賞受賞記念〞として、 ピースボートの豪州でのイベントを紹介し、ピースボートのリンクを貼り付けた。ノーベル平和賞受賞団体のイベントの紹介は〝政治的活動にあたらず〞問題ない、と判断したのだろう。
しかしそのリンクを辿ると、在シドニー日本総領事館前でのデモへの参加が呼びかけられている。なんと、日本から乗船してきた人々が現地の住民とともに、日本総領事館に対して「核兵器禁止条約に署名しないことへの抗議」を行うというのである。 これについては、日本総領事館から在シドニー邦人に対して注意を呼びかけるメールが配信された。


(シドニー日本クラブJCS 便り2018年1-2月号17 ページ)


言論の自由が保障され、核兵器を保有しない平和的な豪州で、同じく非核保有国の日本を非難することに何の意味があるのだろうか?北朝鮮や中国に対して非難声明を出すのが筋ではないのか。実に欺瞞的であり、立派な政治活動であることは言うまでもない。

慰安婦像活動まで!
そして、この話には笑えないオチがつく。JCSの名誉会長は、シドニー総領事だったのである。たとえ純粋な動機に基づいて行動しても、国際社会の現実にナイーヴ過ぎると こんな事態を招いてしまうから注意が必要だ。
さらに象徴的なのは、シドニーで慰安婦像設置活動を続けてきた韓国系反日団体である Friends of ‘Comfort Women’ in Sydney (FCWS)の幹部とメンバーが多数イベントに参加していたことだ。この団体の幹部には、ソウルに拠点を置き、世界中に慰安婦像を建てる活動をしている挺対協のユン・ミヒャン代表が名を連ねている。 
ユン・ミヒャン代表の夫とその妹が、北朝鮮のスパイ容疑で逮捕されていることは既知の事実である。前述のパンフレットの内容からもわかることだが、このように、ピースボートは訪問先の反日団体と深く結びついているのだ。シドニーでのイベントでの最後の締めのスピーチを行ったICAN大使のスコット・ラドラム氏は、左派の「緑の党」所属の豪州連邦上院議員だったが、昨年、二重国籍問題で辞任している。ラドラム氏は、「核廃絶条約をターンブル首相は拒んでいるが、労働党の首相なら条約に署名する。ぜひ労働党に投票してもらいたい」と参加者へ強烈な呼びかけを行い、結語としていた。これでは、平和運動に名を 借りた全くの倒閣政治運動である。

お墨付き与えたのは誰か
 ICANの核兵器廃絶の理念自体は、誰も反対できない崇高なものかもしれない。しかし、ICAN/ピースボートが各地を船で回りながら彼らの理念を伝播していく途上、地元の活動家と連携してイベントを行うときに、その主張は現実のローカルの政治的闘争と深く結びついていく。必然的に、イベントは一方に偏った極めて政治的な色彩を帯びることになる。シドニー日本総領事館前では、核兵器禁止条約に署名しない安倍政権とターンブル政権を非難する発言が相次いだ。ICAN/ピース ボートに賛同する被爆者の方々は、実際に心から核兵器廃絶を祈っているだろう。
 しかし真の問題解決は、特定の政治勢力による倒閣運動に堕したキャンペーンによっては実現しない。
5月8日に放送されたNHK神奈川のニュースによると、ピースボートは同日の午後に横浜港を出港する航海から、ノーベル委員会から授与されたメダルと賞状のレプリカを活動に活用することにしたという。ピースボートの川崎哲共同代表は、「メダルを手にして写真を撮るだけでもいいので、小さなことから運動が広がってほしい」と述べたという。ノーベル賞受賞の栄誉を最大限活用して、自分たちの活動の正当性をアピールしたいのだろう。  
今回の航海では、広島と長崎の被爆者が一人ずつ参加し、三カ月あまりにわたって22の国と地域を訪れる予定だという。また、同じようなことを繰り広げるのだろう。しかも今回は、ノーベル平和賞のメダルをかざしながら。




豪州のアンザック・デーに想う。日本よ健全な愛国心を取り戻せ!

今年のアンザック・デーを振り返り、2つの観点からAJCN事務局長が書いたものです。 豪州の国民的祝日であるアンザック・デーの行進に中国兵の子孫を名乗る人たちが加わるという、日本をターゲットにした中国のプロパガンダが行われています。この日は豪州市民が子供から老人までこぞって祝う影響が大きいイベントだけに将来を考えると日本政府としても対策が必要です。
この記事はアゴラに投稿され、「いいね」が250以上付けられ、多くの方々に読まれました。一時ベスト9位までランキングが上がりました。
http://agora-web.jp/archives/2032513.html


AJCN事務局長 江川純世


今年の4月25日のアンザック・デー、オーストラリア各市は晴れであった。大勢の市民が花輪の献花、パレード、慰霊セレモニーなどのイベントに参加した。
退役軍人のパレードをはじめとする式典が行われ、テレビ中継もされるオーストラリア最大のメモリアル・デーである。参加者、参観者は各市で万を数える。ANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.(豪州NZ連合軍)の略称で、毎年4月25日、1914年に始まった第一次世界大戦における、トルコのガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵士たちを追悼する日である。
またこの日はイギリスの植民地という意識を払しょくし、独立した連合国の一員として初めて海外遠征したことを記憶し、国のアイデンティティを確立する重要な契機となった日でもある。(オーストラリア連邦成立から13年)
私の娘も小・中・高(ローカル校)で社会、歴史の時間に徹底的にこの記念日の意義について教えられた。図書館、本屋、郵便局、ニュース・エージェンシーにはアンザック関連の本があふれている。

キャンベラ豪州戦争記念碑での2018年Anzac Day(The Sydney Morning Herald)

アンザック・デーは第二次世界大戦後、ガリポリの戦いに参加した兵士だけでなく、第二次大戦や朝鮮戦争などオーストラリアとニュージーランドが関わった全ての戦没者慰霊のための記念日に変わってきている。第二次世界大戦中、日本軍によるオーストラリア本土(ダーウイン)爆撃を受け多数の戦死者を出した。捕虜の扱いについての怨み、戦争によって受けた悲しみを、敵国であった日本にぶつけてくる人もいて、ここに住む日系人にとって居心地の悪い一日であった。私も、住んでいた家のリビング・ルームの窓に卵を投げつけられたり、家の前に駐車していた車のテールランプが壊され、中に生卵を入れられ、それが放つ腐臭に閉口したこともあった。時が経過し、多くのオーストラリア人が日本を訪問し、日本への理解が進んでいる現在ではそんな目にあったという話はめったに聞かれなくなった。

アンザック・デーは元々、第一次世界大戦で豪州軍とニュージーランド軍連合部隊がボロ負けした戦いを記念する日である。イスタンブール占領作戦として始まったガリポリ上陸作戦は海軍の軍艦が次々と撃沈される中、各師団が上陸作戦を行った。ANZACの上陸作戦開始日は1915年4月25日、つまり今から103年前のことであった。この戦いで豪軍の戦死者は8,709人(連合軍総死者数33,512人)、多くの戦争未亡人を残し、結婚できない女性が急増した。 しかしこの戦いが負け戦であろうと恥と思う人はいない。人は自らの所属する地域、組織や国家のために戦うのだ。その為に命を落とした仲間のために100年以上経とうが一年に一回追悼しよう、そういう祝日なのだ。

翻って日本はどうであろうか。73年前に終結した第二次大戦で亡くなった212万人の日本軍人を祀った靖国神社を敗戦(終戦)記念日の8月15日に政府の要人、政治家たちは、英霊を侮辱して参拝にケチをつける隣国に忖度して慰霊に訪れない。こんな国は日本くらいのものだろう。日本もアンザックの精神に学んでほしい。

パースにおける2018年ANZAC Day慰霊セレモニーに集まった数千人の参加者。
(The Sydney Morning Herald)

しかし、アンザック・デーが終わった直後、オーストラリアのマルチカルチャラル・メディアのSBSがショッキングなニュースをレポートした。このニュースを読んで嫌な予感がしたのでご紹介する。

Chinese descendants of WWII veterans join Perth's Anzac Day march for the first time
https://www.sbs.com.au/news/chinese-descendants-of-wwii-veterans-join-perth-s-anzac-day-march-for-the-first-time

パースのアンザック・デーの退役軍人の行進に参加する中国系子孫たち(SBS)

中国系の市民が西オーストラリア州の州都であるパースで行われたアンザック・デーのイベントの一つの行進に、初めて、第二次大戦時に日本軍と戦った中国系退役軍人(ベテラン)の子孫が参加したというのだ。この中国系の退役軍人を父に持つ女性はSBSに、父親の第二次大戦における貢献を誇らしく思う、父は日本軍に対する中国軍の前線に参加したと述べている。行進への中国系市民の参加を可能にしたのは中国系のコミュニティから陳情された中国系の上院議員の働きかけもあった。中国語学校the Association of Great Chinaなども「彼らは第二次大戦の勝利に貢献大であり戦勝側の一員として認知されるべき」と同調したコメントを出している。この学校は当然パースの中国総領事館とつながりを持っている。

日本軍と戦ったという父親Lie Yuの写真を持つMary (右)と彼女の母 Shu Qin Lu (左)(SBS)

少し歴史の知識があれば上記の主張に重大な嘘が含まれていることに気づくであろう。
1.中国が中華人民共和国として成立したのは1949年である。日本が敗戦したのは1945年なので日本軍は中国正規軍と戦っていない。第二次大戦中日本軍が戦っていたのは蒋介石率いる国民党軍で、共産党ゲリラは逃げ回って正式な日本軍との戦闘作戦は行っていない。一方中華民国における国民党による政府発足は1925年。国民政府は1948年に改組され中華民国総統府となり現在まで中華民国政府(台湾)と称している。
記事中の動画には毛沢東の写真も出てくるので、ここでいう中国軍とは共産党軍のことであろう。
2.中国系オーストラリア人が豪軍に参加して、日本軍と戦ったとしても彼らはオーストラリア人として戦ったのであり、中国軍の前線で戦ったわけではない。SBSの記事はこのあたりを故意にぼかしている。

すでに中国系ベテランの子孫の行進参加は2015年シドニー、2016年メルボルンで行われている。オーストラリア人にとって最も影響力のある、子供から老人まで参加するイベントで、日本、豪州の分断を目的とするプロパガンダ活動を堂々と中国系市民が組織的に各市で行っていることを日本政府は看過すべきではない。これはオーストラリアで中国共産党が展開しているSilent Invasion(静かなる侵略)の日本貶め戦術の一つと見ることができる。

アンザック・デーのオーストラリアにおける影響力の大きさに中国共産党は着目し、アンザックに関係のない中国の関与を持ち出し、第二次大戦での日本を悪者化してそれをオーストラリア人に刷り込んでいる。オーストラリア国民は他国の歴史に疎いためこれを無毒化しなければ日本にとって大きなマイナスになるであろう。

日本のカウンターとして海上自衛隊のアンザック・デーでの行進(マーチ)への参加と第一次大戦での日豪の協力を強力に広報することを提案する。
(ダーウインで日豪合同の慰霊セレモニーの実績があるのでその延長。)

ガリポリに上陸したANZAC軍は、1914年11月に西オーストラリアからエジプトに向けて出発した。この輸送船団の護衛に、同盟国イギリスから支援を要請された日本海軍の巡洋艦「伊吹」が参加している。更に日本海軍は駆逐艦隊を地中海にも派遣した。
そして、最大時17隻の駆逐艦を送ってアフリカからヨーロッパへ連合軍兵士の輸送船団の護衛をし、ドイツ、オーストリア海軍のUボートと戦かった。
日本海軍の捨て身の護衛は大変な信頼を得て、日本軍の護衛無しでは出港しないという船長もいたほどであったという。一連の戦いで78名の方が亡くなり、マルタ島のバレッタの港を望む小高い丘にある「英国軍墓地」の一角にある旧日本海軍戦没者墓地に埋葬されている。清掃の行き届いた白い慰霊塔には66人の方の名前が刻まれている。
一方、軍として参戦しなかった陸軍は迫撃砲16門と砲弾をイギリス軍に提供している。その一部がANZAC軍にも渡り、ガリポリで使われた。そしてこの迫撃砲の使用方法を指導するため、日本陸軍の義勇兵も派遣されたそうである。
当時のオーストラリアには兵器を製造できるだけの工業力がなく、多くを輸入に頼っていたからである。この迫撃砲は Japanese Trench Motor として、当時の写真と共にキャンベラの戦争博物館に展示されている。これらのことをほとんどのオーストラリア人は知らない。日本政府は広報活動を強化して中国のプロパガンダに対抗すべきだ。