朝鮮人慰安婦への同情-今と昔

この論稿は、山岡代表が英語で書き起こした記事を日本語訳したものです。オリジナルの英語版をお読みになりたい場合はこちらをクリックしてください。
2018年2月19日に英語版をアップしてあります。





「お前たちは慰安婦達のことを否定している!」

日本の皇室を忌み嫌っているとして知られる、あるオーストラリア人のジャーナリストが私に電話越しで叫んだ。

「いや」、「もちろん、慰安婦達は存在した。その事実については私の知る限り誰も否定はしていない」と私は答えた。

「ならば、なぜお前たちは彼女達に敬意を示さないんだ?」

「我々は、女性の人権は尊重している。でも、韓国人の活動家達が主張していることには賛同出来ないということだ」

そこで彼はさらにイライラし攻撃的になった。私が彼に気を鎮めるように言うと、ついにキレて電話をガチャンと叩き切ったのだ。

このレポーターの癇癪はさておき、私は朝鮮人女性に深い同情を抱くべきであると信じて疑わない。彼女達の窮状はそれはひどいものだった。

日本による統治と近代化以前の朝鮮においては、下層階級で出生した女子は文字通り奴隷であり、本人の意思に反して取引きされていた。朝鮮人の役人が婦女子を強制的に家屋から連れ去り、中国の権力者達への貢ぎ物としていたのだ。絶望的になった親達には、娘達を隠したり、彼女達の顔を傷付けたりして、逃れようとする者もあった。

そのような歴史的なトラウマを引きずっているため、朝日新聞によって報道された、吉田清治というペテン師による慰安婦強制連行の捏造ストーリーを韓国人達が信じてしまう下地があったのだと、ある老齢の韓国人男性が教えてくれた。

そのような習慣は日本の統治下では禁じられたが、封建制度が根底にある男性優位の体質は近代社会においても色濃く残った。日本に併合される前の朝鮮では、女子の教育は不要だと考えられていた。彼女達は日本の女子よりもさらに厳しい抑圧の下に生きていた。家出少女達は人身売買ビジネス業者にとっての格好の餌食となり、その多くが売春に身を落とすこととなった。

併合時代、日本は自国ですでに広く普及していた公娼制度を朝鮮に導入した。売春を完全に撲滅することは不可能であったが、許認可制度を設けることにより、既存の人身売買に基づく売春を厳しく取り締まることになった。

当時の日本、特に貧しい北日本では、経済的に困窮した親達が、売春宿と契約を結んで娘を売り渡すことが珍しいことではなかった。政府は厳しい規制を設け、この悪しき慣習が消滅することを願ったのだった。

朝鮮半島は日本よりももっと貧しかったため、日本の公娼制度が導入されると、朝鮮人の親達は娘を合法的に売春宿に売るようになった。1990年代に、慰安婦として初めて名乗りを挙げた金学順は、自分の母親にキーセンに売られたと証言している。親に前金として支払われた金額が返済された時点で解放される契約を娘が承知し、同意をしていない限り、そのような取引は違法であると、併合下の法律で規定されていた。

しかしながら、ソウル大学のイ・ヨンフン(李栄薫)教授は、朝鮮人の売春斡旋業者達は、娘達が同意しなくとも、強制的に連れて行った、と主張している。また、仮にそのような斡旋業者の介入がなくとも、儒教社会のため彼女達は親の意に背くことは困難だっただろう。

日本軍が採用した慰安婦制度は、一般的な公娼制度に倣ったものであったが、朝鮮で古くからある女性の人身売買制度と結びつくことになった。日本政府は今一度、今日の基準においては、そのような制度は論外であること、同様に、現地の女性を騙し、誘拐した罪で朝鮮人のブローカーが日本の警察に逮捕された膨大な記録が残されているということを明言すべきだ。地元の悪しき慣習のもとでの労働であっても、併合時代の日本人は弱い立場にある女性の地位の改善のために努力した。

活動家達は、慰安婦問題を白か黒かで論じようとし、日本を唯一の悪としている。しかし、この制度は単に加害者vs被害者という構図で成り立っているものではない。朝鮮人の親や売人達が大きく加担している。さらに、朝鮮人男性で日本軍に従軍した者達は慰安婦制度を、その他の同僚と同様に利用していた。朝鮮半島において、徴兵制度は1944年9月まで導入されなかった。すなわち、終戦前1年にも満たない期間であった。それにも拘わらず、その時までに、何十万人もの朝鮮人男性(当時は日本人として)が志願兵として日本軍に参加していた。

慰安所利用の折には、これらの男性達はそこで働く朝鮮人慰安婦達と母国語で会話していたであろう。もしも、そのうちの一人でも強制連行されたなどと告白しようものなら、朝鮮人兵士達は上官に向って暴動を起こしたことだろう。これは憶測などではない。現に、朝鮮人の捕虜が連合軍の取調べで話したことである。朝鮮人男性は慰安婦達が自ら志願して契約を結んだか、親に売られたことを知っていた。後者は当時あまりにも一般的な事象であったので、重装備の朝鮮人兵士達でさえ、そのような形で売買された朝鮮人女性に会っても、無反応であったのだ。

実際問題、当時、朝鮮人という国籍は存在していなかった。朝鮮人は日本人になっていた。彼らは日本国民として戦い、日本国民として負けた。彼らは、日本人同様に、慰安婦制度に協力していた。もしも、慰安婦制度が犯罪であると言うなら、朝鮮人も共犯者だ。彼らは日本が敗戦すると、素早く立ち位置を変え、自分達の関与や責任を隠蔽し、被害者の立場を主張するようになった。

しかし、虚偽に満ち、被害者ぶった政治はもう終わりだ。もしも韓国人が本当に女性の人権を憂慮しているのなら、現在、世界中で売春業から抜けられない、何万人もの韓国人女性の救済に奔走すべきである。これら、現代の人身売買の被害者達は、100年近く前に日本政府が取り締まっていたのとまさに同じような極悪ブローカー達によって苦しめられているのだ。



ジョージア州ブルックヘブン市

我々の近隣地域も含め、性的な人身売買は世界中でいまだに存在している。
FBIによると、2014年国内において、アトランタ都市圏がそのような犯罪発生数第一位であったと発表された。

この歴史的記念碑を振り返りながら、今日もなお起きているこのような犯罪をどのように認識し、意見を述べて行くのか、
考えて欲しい。