慰安婦像設置1周年行事に見る慰安婦像問題の本質


反日韓国人グループがユナイティング・チャーチ(アッシュフィールド)の教会建物裏、プライベートパーキングの奥に韓国挺身隊問題対策協議会から譲り受けた一体の慰安婦像を仮置きしてから1年が過ぎました。反日韓国人グループ、Friends of Comfort Women in Australia(FCWA)は1周年を記念し、この教会で8月5日(土)にイベントを行いました。イベントは雑貨、食品類を売るフェイト(バザー)、教会内での短編映画上映、コンサート、1周年記念行事(来賓の挨拶、支援者のビデオレター紹介など)で構成されていました。主催はシドニー平和の少女像実践推進委員会(責任者共同代表;Vivian Pak氏)、主管は 社団法人オーストラリア韓国教育文化センター(KCC)となっています。メンバーの多くはシドニー韓人会所属のメンバーでもあります。
下はストラスフィールドやアッシュフィールド市内に貼られたポスターです。


 
来賓として教会のBill Crew牧師、労働党のJody Mackay 州議会議員、StrathfieldのAndrew Soulos市長、Strathfield Council の General Manager Henry Wong氏らが来席、アボリジナル問題関係者、Bill Crews牧師、 Jody Mackay州議がスピーチを行い、韓国から送られた挺対協のユン・ミヒャン代表とこの慰安婦像のスポンサーの一人であるイ・ジェミョン城南市長の2つのビデオメッセージが披露されました。(韓国語、英語字幕)。
最後に今回のイベントの責任者であるVivian Pak氏が像を表通り(Liverpool Street)側に移設したいと気勢を上げました。


韓国人司会者が語った20万人の性奴隷となった韓国人女性を鎮魂する慰安婦像、Jody Mackay州議が語った全女性の象徴でもある慰安婦像、ビル牧師が語った戦争犯罪の被害者の女性を悼む慰安婦像、どの発言もが女性の人権、戦争時の弱者、犠牲となりやすい女性を悼む人道主義的なものばかりです。
一方、周辺市民の郵便箱に配られたチラシには”Dignity and Justice to the Victims of Military Slavery by Japan”と一方的な政治的言辞が書き込まれています。


当日のバザーの会場には明らかに政治的な日本政府に賠償を求めるバナー“Japan must take the legal responsibility to the victims of Japanese sexual slavery.”が掲示されており、このイベントを主催した反日グループの本音が露わになっています。教会がこのような主張をする反日グループに場所を提供していることは、教会がこの極めて政治的な主張をサポートしていることになります。


また日本兵を悪役に仕立てた漫画も掲示し事実の認識より感情に訴える手法を使っています。


なぜこれら一部の韓国人グループは世界中で慰安婦像を建てて回っているのでしょうか。コミュニティのハーモニーを守る戦いを続けてきたAJCNのメンバーたちもその執念、執着の強さには驚くばかりです。それを理解する一つの鍵が、前韓人会会長、現反日中韓グループKACA(the Korean Committee of United Austral Korean-Chinese Alliance)の会長であるLuke Song氏が、ストラスフィールド市公用地への慰安婦像設置運動を率いていた時に、韓人会のサイトに書き込んでいたパブリック・コメントにあります。
彼は2015年7月10日にこう書きこみました。
「この土地にも住む、日本人に我々は二度と敗れはしない。日本軍国主義の復活を夢見る安倍晋三に連なる、反省しない日本人を撃破し、女性の人権侵害の歴史に終止符を打つ。慰安婦として働いた、20万人の哀れなうら若き女性たちの涙をぬぐい去るのだ。」
続いて7月18日には
「韓国の歴史は惨めだった。常に諸外国の侵略を受けたが、我々は抗する力もなく、団結もできなかった。この惨めな歴史ゆえに、我々は敵(日本人)を降伏させ、謝罪させるために戦う。そして新しい、力強い、何万年も続く歴史が始まるのだ。」
Luke氏はビル牧師に直接会って慰安婦像の受け入れについて折衝しました。
韓国人グループの慰安婦問題に対するこだわりを理解するにはその歴史に対する理解が必要です。

朝鮮半島屈辱の歴史
そもそも、なぜ韓国人は吉田清治の荒唐無稽な慰安婦強制連行話を真に受けて信じ込んだのでしょうか。それは朝鮮半島にこそ、強制連行と性奴隷の長い歴史があるからです。朝鮮半島の諸王朝はずっと中国歴代王朝とは朝貢義務のある属国関係にあり、度々、大勢の若い女性を貢物として差し出していました。それらの女性たちをどうやって集めていたか?その目的で王朝に任ぜられた役職が存在したのです。

採紅使(チェホンサ)と採緑使(チェロクサ)又は採青使(チェチョンサ)という役職がありました。採紅使(チェホンサ)は若い人妻を集める役職で、採緑使(チェロクサ)は処女を集める役職でした。王朝の命令で、文字通り半島中から若い人妻や処女を拉致して集めていました。当時はバスも汽車もなかったので、こうして集められた女性たちは、それこそ数珠つなぎになって連行され、王族・貴族の慰め者になったり、道をとぼとぼと歩いて貢物として中国の王朝に届けられたりしました。それらの女性たちが数年後に帰国できた場合に行くのが弘済院(ホンジュイワン)という役所で、そこでタライに入った水で股間を洗うと、「法的に処女に戻った」と証明する判子がもらえました。しかし、それらの女性は還郷女(ファラングヨン)という女性を侮辱する最悪の言葉でさげすまれ、裏社会に追いやられ、キーセンになったり、下女として働いたり、誰かの妾になったり、所有物になって生きるしかありませんでした。
朝鮮王朝での王位継承も年号制定も大国と称された中国の承認が必要でした。朝鮮は原則的に朝貢貿易以外の交易が禁止されており、貨幣鋳造もできなく、金銀採掘も禁止されていました。そして、訓民正音でハングル文字が制定されるまで、漢字文書以外には文書がありませんでした。ハングルは朝鮮総督府が“朝鮮語学会”を組織し、整理・体系化しました。中国と朝鮮の関係は江戸幕府と諸藩との関係以上に過酷だったのです。 

日本の統治はたったの36年間でした。インドはイギリスに90年間、インドネシアはオランダに150年間、ベトナムはフランスに65年間植民地支配された歴史があり、台湾は50年間日本の総督府統治下にありました。朝鮮は中国との主従関係において、そのように悲惨な歴史的事実があるので、現代の韓国人は、36年間朝鮮を統治した日本人も同じ圧政をやったに違いない、と思ってしまうわけです。自分たちが自民族にやって来たことを、他民族の日本人がやらないわけがないとの先入観があるのです。日本人はその朝鮮の暗い歴史の事実を知らねばなりません。若い婦女子を拉致して性奴隷にする、それはまさに朝鮮の伝統でした。

Luke氏の文章は、永遠に恨みと鬱憤をぶつけられる相手を探しているかのように見えます。あまりにも悲惨な歴史を背負う彼らは、慰安婦像建設のような鬱憤を晴らす機会にしがみ付かざるを得ず、冷徹な事実関係には興味がないのです。本来であれば日本人に歴史に関する全ての恨みをぶつけるより、本当に彼らを蹂躙した中国人にその鬱憤をぶつけるべきでしょうが、中国に逆らえば、あっという間に粉砕されてしまいます。なので、ひたすら謝ってお金を払ってくれる日本との慰安婦問題が解決してしまったら困るのです。そして、その韓国人の心の闇を、日米韓の離間を図りたい大陸と半島の共産主義勢力が利用しています。豪州でも反日活動を主導する挺隊協は北朝鮮に繋がっており、逮捕者も出しています。それを理解しない韓国人は、北朝鮮と合併すれば、北朝鮮の核兵器を共同所有でき、日本に復讐できると考えているのです。(上記の分析と考察は韓国人研究者によるものです)


AJCN代表山岡鉄秀の著作のご紹介
山岡代表はこれまで月刊正論、月刊Hanada、別冊宝島、ムック本など多くの雑誌に記事を寄稿、掲載してきましたが、今回初めて単独での著作を刊行いたしましたのでご紹介いたします。日本全国の書店で好評発売中です。






記録を事実のままに読む:慰安婦と賠償について


Cheers 2017年8月号記事


ジャン・オハーンさんのことを知っている日本人はほとんどいないと思いますが、オーストラリアではよく知られています。彼女はインドネシアのスマラン事件(個別戦争犯罪)の犠牲者の一人です。オランダからオーストラリアに帰化した後、慰安婦の一人であると主張して日本政府の公式謝罪を要求しており、オーストラリアのメディアにオーストラリア人の慰安婦として取り上げられることが多く、韓国挺身隊協議会の反日活動に協力しています。今回は歴史の事実に根差した観察の重要性について書いたAJCN山岡鉄秀代表の英文記事を日本語に翻訳したものを掲載します。


慰安婦制度は第二次大戦中に存在していました。それは性犯罪、性感染症、スパイ活動を防ぐため日本軍によって作られました。同様の制度は朝鮮戦争およびベトナム戦争中、韓国軍によって、韓国軍や国連軍の兵士のために採用、運用されていました。

慰安婦制度は日本軍が発明したものではありません。世宗(セジョン)大学の朴 裕河(パク・ユハ)教授が指摘しているように、この慰安婦制度は、当時すでに存在していた商業的売春システムを体系化したものです。朴教授は、慰安所は場所と時期により様々な形態をとっていたと強調しています。

同様に兵士たちのために働く様々な女性がいました。朴教授は、ある種の愛国心を持って働いていた日本人女性と、当時日本人であった韓国人女性と台湾人女性だけを「慰安婦」と呼ぶべきであると主張しています。これらの女性たちとは別に、一般の売春施設で相手を兵士に限定せず、性産業に携わっていた女性たちがいました。

売春業に携わっていた女性たちは社会的に弱者であり、一般的に脆弱な存在でした。その中には親に売られたり、悪質なブローカーに騙されたりした者もおり、契約のもとでお金を稼いだとしても、搾取されていた可能性があります。朴教授は、韓国の慰安婦に対する日本の責任は、慰安婦の供給源となった朝鮮半島の併合に依拠すると主張しています。
朴教授が指摘するように、この責任の認知は道徳的観点から行われるべきもので、逆に、軍隊によって街角や一般家庭から女性を軍隊によって強制連行したというストーリーは非現実的であり、日本政府は起こっていないことに対して謝罪する必要はありません。 言い換えれば、道徳的責任の認知は、実際の行為に対する後悔に基づくものでなければならず、政治的な計算に堕してはいけないということです。

おそらく、慰安婦制度の象徴的な犠牲者としてよく取り上げらえる最も有名な人物は、第二次世界大戦中にインドネシアでの悪質な戦争犯罪の被害者であるジャン・ラフ・オハーン(Ruff-O'Herne)氏です。オハーン氏のような女性は慰安婦問題に関する議論の全体像のなかで、どのように捉えられるべきでしょうか?

朴教授は、兵士にセックスを強制されたジャン・ラフ・オハーンさんのようなオランダ人女性は、慰安婦ではなく、明らかに犯罪の被害者であると述べています。 この犯罪の加害者たちは個人として処罰されました。 このことを明確にすることは重要です。なぜなら、それは、日本帝国軍に関する現在の多くの言説に反して、日本軍が慰安婦の安全を確保する立場であったからです。

オハーンさんは300年にわたりオランダが植民地として統治したインドネシアで起こった「スマラン事件」(1944年2月)と呼ばれるおぞましい犯罪の犠牲者でした。 スマラン事件では、少数の日本軍兵士と売春斡旋業者が、35人のオランダ人女性を強姦し監禁しました。

これらの兵士や売春斡旋業者は、インドネシアのジャカルタにある日本軍第16連隊を統括する部署が出していた厳格な道徳的ガイドラインを破りました。 彼らは強制的に17歳から28歳の35人の女性を、オランダ人を収容していた3つの収容キャンプから強制的に連れ去り、スマランの4つの売春宿に閉じ込めました。 兵士たちとブローカーたちは、女性たちを繰り返し強姦し、彼女たちの意志を無視して長く監禁しました。

小田島薫大佐によるオランダ人キャンプ査察中に、オランダ人収容者のリーダー(娘が拉致被害者の一人だった)が、一部の日本の陸軍将校や売春斡旋業者がキャンプからオランダ人女性を強制連行したことを訴えました。  小田島大佐は、オランダ人リーダーの報告を受けて、第16軍司令部本部に対し、拉致されたオランダ人女性全員をすぐに解放するよう命令しました。 小田島大佐はさらにスマランの4軒の売春宿の閉鎖を命じました。

11人の加害者(兵士、売春斡旋業者、売春宿の経営者)は軍法裁判にかけられました。 戦後、1948年のバタビア戦争犯罪暫定裁判所において、犯行者たちB級とC級戦争犯罪人に分類され、有罪判決を受けました。 事件の総責任者とみなされた岡田慶治陸軍少佐は処刑され、他の者は投獄されました。更に、この事件の主犯格とみられた大久保陸軍大佐は、戦後日本へ戻っていましたが、バタビア戦争犯罪臨時裁判所に訴追されるのを恐れてその前に自殺しました。

最終的には、35人中25人が、何人かの日本軍兵及び民間売春斡旋業者による強制連行、強姦の犠牲者であったことが、正式に認められました。1994年のオランダ政府報告書によると、第二次世界大戦中、およそ200から300人ぐらいのオランダ人女性がインドネシア各地にあった売春宿で働いていたとされ、そのうちの少なくとも65人は日本軍兵士たちによる強制売春の犠牲者であったと認識されています。しかし、その他の女性たちは全て、職業的娼婦でした。

この件に関しては、オランダ・日本両政府間で既に全て解決済みです。オランダ政府も正式にこれを完全解決済みと認識しています。日本政府は1995年に、アジア女性基金を設立し、総額約4億5500万円の賠償金医療福祉支援を 準備、犠牲者全てに個人的賠償を行ないました。これによって、2001年までに、全てのオランダ人犠牲者に賠償金が支払われ、日本政府の賠償事業は完了終結しました。

アジア女性基金が、政府機関ではなく、民間の基金であったという点については多々批判されています。実際には、基金は日本政府国家予算の中から供出されていましたが、戦争関連の賠償に関しては既に「1952年サンフランシスコ講和条約」施行によって完全終了していたため、政府としては民間基金の体裁を取る必要があったという単純な理由によるものです。多くの日本の民間人が先の戦争で苦労した女性たちに深く同情し、アジア女性基金に寄付を行いました。

アジア女性基金の記録によると、79人のオランダ女性たちが各々、約3百万円相当の賠償金と当時の橋本総理大臣のお詫び状を受け取りました。オハーン氏は賠償金を侮辱と捉えて、自らの意志で受け取りを拒否しました。

残念ながら、慰安婦問題の本質は本来、戦争中に苦労した女性達に対する同情・賠償・福祉にあるべきにもかかわらず、今は、その本来の意味と目的が変わってしまっています。近年においては、慰安婦問題は、東アジア及び他の国々で反日運動をしている、中国共産党と北朝鮮につながる活動家達によって政治的策略の目的で悪用されています。

朴裕河教授が提起しているように、日本政府は、過去に実際に起こった事実に関してのみ償う義務を負っています。記録によれば、日本政府はそれを何回も行っています。その一方で、共産主義者が慰安婦の歴史を政治利用しているという現実を踏まえ、彼らの政治的策略に陥ることがあってはなりません。


山岡鉄秀
AJCN代表
公益財団法人 モラロジー研究所 研究員


ビルマのミッチーナで1944年に米軍の捕虜となった慰安婦たち。(朝鮮半島出身の20名と日本人民間人2名)米国戦時情報局心理作戦班が有名なReport 49(「朝鮮人慰安婦」尋問報告書)を作成したときに撮影された。この第三者による詳細レポートは彼女たちは一般的な売春業に携わっていたと結論付けている。1944年8月14日撮影、米国国立公文書館所蔵)

ク・ユハ教授
韓国の名誉棄損裁判の1審で無罪を勝ち取った時に撮影された写真。
ソース:朝日新聞

最近のジャン・オヘルネさん〈94歳〉
アデレードの自宅前で。
ソース:ABC News