―ビル・クルーズ牧師の心境の変化ともともとの矛盾を推察する―
1.なぜ「自由の女神像」か
1989年、世界が注目する中国の民主化運動のさなか、1か月以上のデモを経て、中央美術アカデミーの学生たちが、米国の自由の女神に敬意を表して、高さ10メートルのポリスチレンと石膏の像を制作した。共産主義中国におけるより民主的な統治を望む彼らの願望を象徴するため。民主化支持の学生デモ参加者がこの「民主の女神」を担いで天安門広場に向かって行進した。
毛沢東の肖像画の前で旗を振る民主主義支持デモ参加者の大群衆の中にそびえ立つ「民主主義の女神」。毛沢東の肖像画の前で旗を振る民主主義支持デモ参加者の大群衆の中に立つ「民主主義の女神」。デモ鎮圧の際、女神像は破壊された。
オリジナルの像は自由の象徴、言論の自由と民主主義運動の象徴となったため、1989年の出来事を記念して世界中でこの像の多くのレプリカが建てられた。その中にはアーティストのチェン・ ウェイミン氏と賛同者によって建てられたアッシュフィールドの像も含まれている。多くのオーストラリアのカウンシルは中国共産党の反発、介入を恐れ、このレプリカ像の公用地への受け入れを拒否したが、関係者の努力によって天安門事件26周年の1か月前の2015年5月にオーストラリアに発送された。ビル・クルーズ牧師はレプリカ像(3.2メートルのグラスファイバー製)を自身の教会へ受け入れ、2015年6月4日(火)の天安門記念日前の日曜に公開した。この像を制作し、オーストラリアに贈り物として贈ったアーティストにとって、そして追悼のためにアッシュフィールドを訪れた多くの中国系オーストラリア人にとって、この像は重要な意味を持ち続けている。
中国生まれのニュージーランド在住の芸術家兼彫刻家チェン・ウェイミンChen Weiming氏は、レプリカ像制作とオーストラリアへの寄贈の意図を次のように述べている。「その意味と影響力は、現時点ではそれほど大きなものではないかもしれません。しかし、50年、100年後には、中国系オーストラリア人が自由で民主的な国に与えた贈り物という重要な意味を持つことになるでしょう。」
シドニーのアッシュフィールドの民主の女神像の隣に立つ2005年にオーストラリアに亡命した元中国外交官一等書記官の陳用林Chen Yonglin氏。
陳氏は、1989年の6・4天安門事件後に4万人以上の中国人留学生とその家族を受け入れたオーストラリア政府と当時のボブ・ホーク首相に感謝の意を表明した。彼はウェイミン氏や反共産党系中国系グループのメンバーとして、裏庭に寂しく置かれていた自由の女神像を表側に移設するよう、教会に根気強く要請を続けた。AJCNは陳用林氏と直接面談を含めた情報交換を行い、この経緯について承知している。
中国政府は依然として、オリジナルの銅像や天安門事件に関する公の場(SNS含む)での議論を一切禁じており、記念活動に参加する活動家を取り締まり、国内ばかりではなく海外における反中国的発言に対する弾圧を強めている。
一方、アッシュフィールドでは、民主の女神像は設置されて以来、1989年の天安門民主化運動後に生活に大きな影響を受けた人々に敬意を表し、オーストラリアに来る人々にインスピレーションを与える場所と見做され、自由と民主主義を追求する象徴となっている。
2.なぜビル・クルーズ牧師は二つの像のポジションを変えたのか?
上は2016年8月6日の慰安婦像除幕式において撮られた参加メンバーの記念写真である。このうちユン・ミヒャン(前列左から2人目)、イ・ヨンス(左から5人目)、イ・ジェミョン(左から4人目)、ビル・クルーズ牧師(中央)キャロル・オヘルネ(第2列左から2人目)氏等が著名である。その後ユン・ミヒャン氏が北朝鮮とつながりがあったことが暴露され、自分が代表であった反日組織「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(前挺対協)の資金流用疑惑が表面化した。イ・ヨンス氏は自分が慰安婦でないと告白し、盟友であるはずのユン・ミヒャン氏を告発、慰安婦像除幕式で昭和天皇を戦争犯罪者として呼び捨てにして非難した「共に民主党」の党首イ・ジェミョン氏は韓国大統領選で敗北し、現在不正疑惑で検察に追及されている。そして韓国大統領がユン・ソンニョル氏に代わると日本と韓国政府は朝鮮半島出身戦時労働者の賠償問題、慰安婦問題等で歩み寄りを見せている。このような状況下、現在オーストラリアで反日的活動を行っている韓国系団体も内向きの活動に専念せざるを得なくなっている。シドニーの反日韓国系団体FCWS(Friends of Comfort Women in Sydney)「シドニー慰安婦の友人」)とメルボルンの韓人会館前に慰安婦像を建てた「メルボルン平和少女連帯」はオーストラリアの情報機関ASIOの監視下にあるためである。またQUADの推進やG7ミーティングで西側諸国は中国の囲い込み政策を明らかにし、オーストラリアで中国政府の肩を持つ言動は批判的に見られるようになった。クルーズ牧師もこのような情勢の変化に目を背けるわけにはいかず、姿勢の修正を図ったものと思われる。
3.慰安婦像を受け入れた時点でクルーズ牧師が抱えた矛盾
クルーズ牧師は、自身の名を冠した福祉団体を持ちオーストラリアでは人権活動家として知られている。しかし2014年から反日中国系、韓国系団体が共同で推進したシドニーの慰安婦像設置運動に対しては一貫して反日勢力の言うことをうのみして、ファクトを主張する日本人たちを「Perpetrator(加害者)」と呼んで批判した。そしてその思考は、中国共産党政権の自由・人権弾圧を非難する団体からは「自由の女神像」を、次にバックに中国共産党がいる反日運動の一つとも見做されている慰安婦像設置運動を支持し、「慰安婦像」も受け入れるに至って矛盾を露呈することになった。
今回2月にAJCNからクルーズ牧師に贈った「ひとめでわかる『日韓併合』時代の真実」英語版には、ファクトに基づいた「慰安婦」の実態が記載されている。この本を読んでクルーズ牧師は彼の「神」と自信の矛盾についていかなる対話をするのであろうか。
以上