2014年4月1日の公聴会で、前日夜に会ったばかりの見知らぬ同士がスピーチ合戦を制し、慰安婦像設置を先送りとしてから、去る8月11日に全会一致で設置案が否決されるまで、実に16か月を費やす結果となりました。翌日の地元紙には「民主主義の勝利」と否決を支持する見出しが躍りました。我々の主張が全面的に受け入れられた証左です。
しかし、中韓反日団体が設置申請した慰安婦像が市のポリシー違反だったことは最初から分かっていたことです。また、この問題がコミュニティを分断し、対立を生み出すこと、中国系や韓国系を含む非日系市民からも多くの反対の声が寄せられていたことも、市は去年のうちに認めていました。それならなぜ、こんなにも長い時間が費やされなくてはならなかったのでしょうか?
それは、2014年9月から市長となった自由党所属のバカリ氏が、中韓反日団体に有利になるように、とことん時間稼ぎを行ったからです。実は、バカリ市長は「この問題は市のレベルを超えた国際問題であり、市民を分断してしまうことだとよく認識している」と発言しています。それにも拘わらず、2014年3月に慰安婦像反対派のマクルーカス議員が「この問題が市に悪影響を及ぼしていることは明らかなので、さっさと片付けてしまおう」と動議を発した際、「もっと時間をかけて考慮する必要がある」との理由でさらなる先送りを主張し、また、議決を取るにあたって、慰安婦像設置の提案者で、利害関係者として投票できないはずの韓国系議員に投票を許可して否決に持ち込むことまでしています。さらに6月、慰安婦像に関する住民の意識調査を行う決定をした際も、「慰安婦像に女性に対するドメスティックバイオレンス反対の趣旨も加えよう」と、中韓反日団体の戦術に沿った方向に誘導しようとし、反対派の議員から猛反発を受けて撤回するということまでありました。7月には、中韓反日団体がストラスフィールド駅前広場でキャンペーンを始めましたが、なんと、キャンペーン開始当日にバカリ市長が、慰安婦像推進のパンフレットを掲げた反日団体代表と、日本食レストランで歓談している写真までインターネット上に掲載されました。ちなみに、バカリ市長は我々からのメールにも手紙にも、一回も回答していません。
バカリ市長のこのような一連の行為は、市議に対して適用されるCode of Conductに抵触する可能性があります。その背後には、票田があり、多額の政治献金を支払う中国系韓国系団体への配慮、および、中韓両国政府からの圧力があることが容易に想像できます。一方、ストラスフィールド市在住の日系人は人数もごく僅か。投票権もなく、政治献金など当然皆無です。政治家にとって、なんの旨みもありません。市のポリシーを曲げてでも、どちらに味方したくなるかは自明の理でしょう。あってはならないことですが。まさに、民主主義の理念と倫理が危機にさらされていたのです。
中韓反日団体は、バカリ市長を味方に付けたと公言していましたが、その一方で、勝利の確信がなかなか持てないことに苛立ちを隠せず、ネット上に次のようなコメントを続々と掲載していました。
「日本人たちも住んでいるこのストラスフィールドで、再び日本人に決して負けはしない。我々は、反省しない彼らを、軍国主義の復活を夢見る安倍晋三の日本人たちを撃破して、女性人権蹂躙の獣じみた歴史を終結させるだろう。20万人の元慰安婦の涙を拭いてあげよう、そして、惨めで悲しい朝鮮半島の歴史に終止符を打つ」
もはや、日本の政権批判を飛び越えて、慰安婦像に反対する地元住民までも「軍国主義復活を夢見る反省しない敵」として、撃破することを叫んでいるのです。ここに彼らの真の動機とメンタリティーが露わになっています。
これらの動きに対して、我々AJCNがどうカウンターし、全会一致での否決に結び付けたかは、割愛させて頂きます。もう少し詳しいことは、月刊「正論」(産経新聞社)に執筆予定ですので、よろしければそちらをご参照ください。
昨年この問題が勃発した際、「日本人が戦時中に酷いことをしたのに、謝罪もしないから、中国と韓国が怒っているのだ」と考えられた方もいらしたかと思いますが、大変残念ながら、現実はそれよりもはるかに厳しいものがあります。7月にAJCNが企画した「藤井厳喜氏豪州3都市講演」において、藤井氏が語られたように、事の本質は「米中新冷戦構造において中国が日米、日豪分断を目的として世界規模で仕掛ける情報戦争の一端」に他なりません。戦争というのは、武器の行使の前に、情報戦から始まります。中国は近代において失われた中華大帝国の復興と、そのプランを隠すこともせずに公表しています。南シナ海に強引に軍事基地を建設しているのは、制空権を握り、中国の戦略原潜が北米と豪州を核ミサイルの射程距離内に収めるためです。その目的のために、最も邪魔になるのが日米、日豪の軍事同盟なので、歴史問題と韓国人の反日感情をフルに利用して、日米、日豪関係に揺さぶりをかける戦略に出ているのです。平和ボケした我々日本人にはとても理解しがたいことですが、世界は群雄割拠の帝国主義時代に逆行しています。韓国は「繰り返し中国に利用されることこそが悲しい歴史の本質」だと気づいていないようです。
この活動を通じて、痛感させられたことが他にもあります。特に重要なことは、「事実」というものに対する考え方が、中韓と日本では根本的に異なる、ということです。日本人は無意識のうちに、事実というものは、基本的に検証可能で客観的なもの、と思っています。しかし、「大声で繰り返し叫んで、周囲を信じ込ませれば、それが事実になる」と考える文化圏も存在するのです。たとえば、「20万人の女性を強制連行して売春婦にした」という事実は無かったことについて、日米の学会ではすでに合意が形成されており、「慰安婦は性奴隷だった」と主張する最左翼の学者でさえ、「少なくとも朝鮮半島では強制連行は無かった」と公言しています。朝日新聞が誤報を認めて記事を撤回したのは周知のとおりです。日本人は、「検証された事実を指摘すれば誤解が解けるはずだ」と考えがちですが、実際には、声が小さいうちは無視されてしまうのです。なぜならば、攻撃している側は、自らの鬱憤を晴らし、周囲を自分の味方につけ、相手を貶めることが目的なのであって、精緻な事実の探求などに興味がなく、目的の為なら証拠のねつ造も厭わないからです。現に、昨年3月にCheersが反日団体の代表にインタビューし、「20万人の根拠は何ですか?」と聞いた際、答えは「お婆さんに聞きました」でした。
また、日本人は「自らが行ったことを棚に上げて他人を責めるのは恥ずかしいこと」と考えますが、そのような美徳は国際社会では通用しません。中国の人権弾圧は説明を要しませんが、韓国も、朝鮮戦争中および冷戦中に、米兵向けの慰安所を大統領命令で設置していました。現在、122名の元韓国人慰安婦の女性たちが、韓国政府を相手取って訴訟を起こしています。非人間的な扱いを受け、病院で性病治療中にペニシリンショックで亡くなった女性も多かったとのことです。また、ベトナム戦争中には、韓国軍によるベトナム人女性の強姦と虐殺が横行し、ライダイハンと呼ばれて蔑まれる多くの混血児を残したことも公然たる事実ですが、韓国政府は未だに謝罪していません。これらの事実は韓国国内でも知られているにも拘わらず、完全に無視して、ひたすら日本の蛮行を世界に知らしめる、と復讐心に燃えています。反日団体の代表が吐露しているように、長い朝鮮半島の屈辱の歴史において蓄積された鬱憤を晴らすことが真の目的であり、日本だけが唯一謝罪して恐縮してくれるがゆえに、反日を止めることができないという悪循環に陥っているのです。
我々AJCNは、露骨な敵意に直面しながらも、最後まで、創設理念である、「非敵対的合理主義」を貫き、感情的、攻撃的な反応は控えました。それゆえに、多くの非日系住民の支持を受け、「中韓反日団体対日系住民」ではなく、「中韓反日団体対rest of the community」という構図が作り出されました。この事が、全会一致の否決に繋がった大きな要因のひとつです。AJCNは日豪混成チームですが、品格を保つという合意があればこそ、多種多様な人々が最後まで一糸乱れずに協力することができたのです。韓国系議員が韓国メディアの取材に答えて「日本の組織的妨害にあった」と発言していますが、彼らの目に組織的に映った、ということが、我々のチームワークの証です。
黙っていても性善説で生きて行ける国は日本ぐらいなものです。民主主義とは、自らの権利を守るために、戦う手段が用意されている社会、という意味であって、何もしなくても基本的権利が保障されている、ということではありません。自ら立ち上がって戦う意志がなければ、いとも簡単に蹂躙されてしまうのが現実だということです。今回の一件は、平和ボケした我々日本人へのWake Up Callだったと言えるでしょう。
戦争中、人種を問わず、多くの女性が大変な苦労を味わいました。そのような悲劇が繰り返されないためには、とにかく戦争を起こさないことが最重要です。それぞれの民族に、それぞれの悲劇の歴史があり、我々は差別なく、積極的な理解と同情を示すべきです。しかし、歴史を政治問題化して、コミュニティの平和と融和が乱されることがあってはなりません。最後に、ご支援を頂きました皆様に、心より御礼申し上げますと共に、8月11日の特別会議の終わりに、慰安婦像反対派のRaj Datta議員が述べた言葉を引用します。
Go home as an Australian!
(オーストラリア人として家路につきなさい!)