植村さん、「慰安婦」名誉棄損裁判を続けるのは無意味ですよ!


JAPAN Forward記事リンク
Uemura, It’s Pointless to Pursue Your ‘Comfort Women’ Defamation Case



<日本語訳>

元朝日新聞記者である植村隆氏は、日本外国特派員協会で以下のように述べた:私は、慰安婦記事に関する「論争には勝った」。しかし、私の報道に誤りがあると言って来た者に対して起こした訴訟には負けたのは遺憾だ。

植村氏が挑戦的なコメントを発したのは、金学順氏について彼が書いた朝日新聞の記事に関連して、櫻井よしこ氏から名誉棄損を受けたという彼の訴えを、札幌地裁が2018年11月9日に退けた後のことだ。

金氏は1991年に元慰安婦だと名乗り出た韓国人女性。櫻井氏は日本の著名な保守系ジャーナリストであり、国家基本問題研究所の所長だ。

1991年8月11日に、植村氏は朝日新聞大阪版の記事に、金学順氏に関してこのように書いた:「女子挺身隊」の名目で戦場に連れて行かれ、日本軍兵士に対して強制的に売春させられた「韓国人慰安婦」の一人が、ソウルで存命中だ。

植村氏の記事は、事実に反し、誤解を招き、作り話に等しいと批判した者は多いが、櫻井氏もその一人だ。2015年、植村氏は櫻井氏に対して論争を挑むのではなく、名誉棄損で訴えた。

しかし、法廷で明らかになったのは、植村氏が1991年の記事中で、金氏の言ったことを書かずに、言わなかったことを書いたことだった。

3回の別々の機会に、金氏は自分の体験について話している。

最初は、1991年8月14日、植村氏の記事が出たほんの数日後だ。金氏はソウルで開かれた記者会見に出席した。韓国のハンギョレ新聞の記事によれば、金氏は14歳の時に、母親によって平壌のキーセン(朝鮮半島の伝統的売春宿)のオーナーに売られた。17歳の時に、義父となっていたオーナーが彼女を中国にいた日本軍のところに連れて行き、そこで慰安婦となった。

2度目は、1991年12月に彼女が他の韓国人男女と一緒に日本政府を訴えた時の申し立ての中だ。彼女は以下のように述べた:彼女は金泰元という人物の養女となり、14歳から3年間、キーセン学校に入った。17歳になった時、彼女は養父である金泰元氏から、中国へ行けばお金を稼げると言われ、中国に連れて行かれた。

3度目は、臼杵という名の日本人による金氏へのインタビューの中だ。これは月刊誌「宝石」に寄稿された。金氏はハンギョレ新聞と同じ話を繰り返したが、母親が彼女をキーセンに40円で売ったことを付け加えた。

植村氏が櫻井氏を訴えた裁判の中で、札幌地裁は、金氏の3つの別々な証言には十分な一貫性があり、金氏の経験を正確に述べていると推測できるとした。

3つの証言によれば、金氏の体験は、以下のようにまとめられる。

金氏は満洲の吉林省で1924年に生まれた。彼女の父親は彼女が生まれて100日後に亡くなった。貧困に苦しんだ彼女の母親は、彼女を平壌にあるキーセン宿(朝鮮半島の伝統的な売春宿)に40円で売った。彼女はそこで3年間教育を受け、17歳の時に、彼女を育てたキーセン宿のオーナーに、中国へ行けばお金を稼げると言われ、中国に連れて行かれた。中国で彼女は、そこに駐留していた日本軍の慰安婦になった。

しかし、金氏の証言が彼女の体験の主要な部分構成しているにもかかわらず、植村氏は朝日新聞の記事の中で、金氏の複数の証言について全く書かなかった。

その代わりに、植村氏は、金氏が全く言わなかったことを書いた。上記の3つの証言の中で、金氏は女子挺身隊に入隊させられたとは全く言っていない。女子挺身隊は戦時中の動員法に基づいて組織されたもので、慰安婦とは何の関係もない。

慰安婦の存在は全く秘密ではなかった。それは広く知られていて、映画の中にさえ登場することがあった。日本人に衝撃を与えたのは、植村氏の、金氏が生き証人だとして語ったという、以下のような話だ。「純粋に工場労働者となるべく女子挺身隊に入隊した一人の若い女性が、慰安婦になるよう強制された。」日本の人々は植村氏の朝日新聞の記事に衝撃を受け、金氏に深く同情した。

植村氏は金氏に自分で直接インタビューしたことは一度もないと認めた。彼は、インタビューの録音テープを聞いただけで1991年8月11日の記事を書いた。その録音テープは、彼が言うには、この件に関して運動をしている韓国の活動家グループである挺対協が所有していたものだった。挺対協は金氏にインタビューしたと主張しているが、植村氏は札幌地裁で、そのテープも、当時取ったであろうメモも、既に持っていないと証言した。

植村氏はまた、慰安婦と女子挺身隊は全く別物だということを十分に知っていたと認めた。植村氏はさらに、金氏が女子挺身隊に入れられていないということも知っていたと認めた。

それでもなお、植村氏は金氏が女子挺身隊に入れられた後に強制的に売春をさせられたと書いた。植村氏は、慰安婦と女子挺身隊は当時の韓国では混同されていて同義語であったという、それを唯一の理由としてそのように書いたのだと証言した。

植村氏の主張は、さらに、以下の事実とも矛盾する。すなわち、朝日新聞は、彼の1991年の記事を、慰安婦と女子挺身隊という全く別のものを混同してしまったという理由で取り消した。その記事が出た当時、資料不足だったとも述べた。

最終的に、札幌地裁は、櫻井氏が植村氏の記事を、誤解を招くものであり、また、ねつ造に等しい、と批判することは、全く妥当であると結論づけた。

櫻井氏の批判は、確かに、植村氏のジャーナリストとしての評判を傷つけた。しかし、朝日新聞による大規模で組織的な誤誘導によって、慰安婦問題が国際問題にまで大きくなってゆく背景で、彼女の行為は明らかに公益にかなっている。よって、櫻井氏の批判は名誉棄損にはあたらない。

札幌地裁はまた、植村氏の韓国人義母が、慰安婦問題に関して日本政府に対して訴訟を起こしているグループの役員であったことを認定した。彼女は後に、詐欺行為のために逮捕されている。ジャーナリズム倫理の観点からすると、そもそも、植村氏は彼の義母の活動を支援する記事を書くべきではなかった。

札幌地裁での敗北を不服として、植村氏は既に控訴した。

櫻井氏は植村氏に、ジャーナリストは、意見が異なる場合に、法廷で争うのではなく、論争すべきだという明確なメッセージを送った。

植村氏によれば、彼は慰安婦をめぐる論争に勝ったそうだ。本当に勝ったのだろうか。いや、決して勝ってはいない。彼は事実から逃げ続けている。

Written by 山岡鉄秀
Translated by 清水政明(予備校講師)