今回の記事は、今日本で行われている朝日新聞を相手にした慰安婦関係の裁判の一つ「朝日・グレンデール裁判」に関係して、原告側の主張を要約した本の「はしがき」(前書き)のご紹介です。本のタイトルは「『慰安婦』謀略戦に立ち向かえ! 日本の子供たちを誰が守るのか?」で、AJCN代表の山岡鉄秀が「はしがき」を書いています。この「はしがき」は、慰安婦(像)問題の本質を的確にそして平易に解説していますので、全文を以下に掲載いたしました。まだ豪州でくすぶっている慰安婦像問題についても容易に理解できますので是非お読みいただければと思います。
たった一通のメールが人生を変えることがある。2014年3月31日、シドニーの事務所で普通に仕事をする私のメールボックスに飛び込んで来た一通のメール。それは、シドニー郊外のストラスフィールド市に住む、見ず知らずの日本人の母親が書いたものだった。どうやって私にたどり着いたのか、それはわからない。そこに書かれていたのは、慰安婦像を建てようとする反日団体の攻勢に怯え、子供たちへの悪影響を恐れる母親の必死のSOSだった。
「明日の夜、ストラスフィールド市の公会堂で、慰安婦像の設置の可否を決める公聴会と決議が行われます。日本人の方は集まってください!」
直前の告知で、日本人が何人集まってくれるか、はなはだ心もとない。ただ困り果ててSOSを発信した、母親の必死な気持ちがストレートに伝わってきた。私は迷わず電話を手に取っていた。この匿名のお母さんに何とか連絡を取るためだ。明日行くのでは遅すぎる。今夜中に何ができるか?それが鍵だ。コミュニティ防衛の戦いはその日の夜のうちに始まった。
あれから3年の歳月が流れた。ストラスフィールド市の慰安婦像は阻止したが、まだ戦いは続いている。あのメールを見たとき、私の脳裏に浮かんだのは何だっただろうか?日本国の名誉だっただろうか?英霊の名誉だっただろうか?いや、違う。それは不安げな面持ちで子供を抱き締める母親の姿だった。日本人男性として、見て見ぬふりは絶対にできない、ただそれだけの気持ちが私を動かした。そしてその瞬間からいつ終わるとも知れぬ戦いが始まったのだ。
慰安婦問題に特別な知識があったわけではもちろんない。調べれば調べるほど、この問題が複雑な背景を持つことがわかってきた。この問題は断じて「昔日本がひどいことをしたのにきちんと謝らないから韓国の人たちが怒っている」などという単純な話ではない。「誠意を示して謝罪すれば和解できる」などというものでもない。その程度の話なら、とっくの昔に解決していただろう。この問題はそのような次元をとっくに飛び越えて、様々な国や団体の思惑が複雑に絡み合う様相を呈している。この問題は覇権主義にまい進する国家による敵陣営分断作戦であり、日本孤立化戦略であり、民族主義高揚のツールであり、金儲けのビジネスでもある。肥大化し、制御を失った、自己増殖するマシーンにもたとえられるだろう。その結果、在外邦人、特に子供たちに実害が及ぶ事態にまで至っている。もはや「歴史戦」という言葉だけではくくり切れない。そして、その様々な局面で必死に戦い続ける人々がいる。それらの人々の魂の叫びを集めたのがこの本だ。
そもそも、戦後何十年も、慰安婦問題なるものは存在しなかった。それがなぜこんな大ごとになってしまったのか?引き金はなんだったのか?慰安婦問題を推進する挺対協の正体は何か?そして、親北勢力に飲み込まれようとしている現在の韓国で、慰安婦問題はどのように利用されようとしているのか?日本が覚悟すべき脅威とは何か。慰安婦問題の第一人者である西岡力麗澤大学客員教授が韓国の最新情報を交えて解説する。
最近では、この問題が実は日本発であることを知る人も増えて来たが、国連が長く日本批判を目的とする日系NGOの独壇場で、一方的にそれらNGOの主張に影響されて来たというショッキングな事実は知られていなかった。「性奴隷」という言葉も国連から広まった。日本人は外圧に弱いと言われるが、まるで「先生に言いつける」がごとく、国連を利用して日本政府に圧力をかけることに執念を燃やす人々がいる。女性の立場でこのような勢力の牙城に風穴を開けようと国連に乗り込み、フランス語でスピーチを行った前衆議院議員の杉田水脈氏が鮮烈な体験談と、日本が進むべき方向を語る。
子供を案ずる母親の思いが私を突き動かしたことは先に述べた。我々が憂慮している日系子女への苛めや差別の問題は、すでに慰安婦像が建っている北米でこそ深刻である。米国では、事実に踏み込んで反論しなかった日本政府の不作為と、反日団体の強力な活動によって「日本軍が20万人もの女性を性奴隷として蹂躙した」という虚偽が歴史的事実として独り歩きし、教科書にまで載っている。そのような状況下で、人種的少数派として生きなくてはならない日系子女の苦悩は深い。さらに驚くべきことは、邦人保護を主要任務とするはずの現地日本領事館が、母親たちに相談を受けても、本省に対しては「いじめの例は確認されていない」と報告し、現地の親から強い不信を買っているというのだ。日本人はそこまで事なかれ主義に堕してしまったのだろうか。日本人同士協力して子供たちを守ることすらできないというのだろうか。高橋史朗明星大学特別教授が現地の苦悩を伝える。
慰安婦問題は、ローカルな視点で捉えれば、日本人、とくに子供たちへの差別や苛めの問題だが、グローバルな視点で見れば、日本を悪魔化し、孤立させ、日米韓を離反させる覇権国家中国の国際戦略だとジャーナリストのマイケルヨン氏は喝破する。軍人として戦場を渡り歩いてきたヨン氏にとって、戦闘中の軍隊が組織的に民家から20万人の女性を誘拐して性奴隷にするなど、荒唐無稽な作り話に過ぎないことは瞬時にわかる。必要な要員、ロジスティクスを含め、戦闘中の軍隊にそのような余力はない。まして、そのようなことを強行すれば、新たな戦争や動乱を引き起こしてしまうだろう。逸脱した兵士による戦争犯罪と制度としての慰安婦制度を混同すべきではない。しかし、中国が仕掛ける情報戦は広く深い。その中国に無自覚に操られる韓国人は過激化の一途を辿り、日本人に対するテロ行為の発生も時間の問題だと、11カ国を巡って調査を実施したヨン氏は警告する。
いずれも極めて重要な視点で、どれひとつ欠かせないが、私自身は次の2点を強調したい。まず、この問題を幼い子供たちの視点でとらえることの重要さである。慰安婦像そのものは、一見ただの少女像に見えるかもしれない。そして、反日団体は意図的に「女性の人権尊重」を前面に打ち出している。しかし、同時に、韓国も中国も国ぐるみで徹底した反日教育を行い、日本への憎悪を煽り、「恨」を民族の団結に利用しようとしている。この、憎悪に根差した民族主義にまともに影響されるのが、純粋な子供たちだ。韓国人や中国人の子供たちは、大人たちの言うことに疑問も持たず、純粋な正義感と敵愾心に突き動かされて日本の子供たちに攻撃的な態度を取る。子供たちは大人とは異なる基準で行動することを忘れてはいけない。結局のところ、苛められる日系の子供たちはもちろん、苛める方の子供たちもまた、不健全な民族主義と情報戦争の被害者なのだ。子供たちを守るという視点が常に必要だ。
そして、西岡力氏がかねてより指摘するように、慰安婦問題はそもそも日本人が作り出して日本人が広めたのだが、朝日新聞が吉田清治という韓国や北朝鮮の諜報機関に通じた詐欺師の作り話を大々的に広めたことが極めて重大な契機となっていることは、日本国内ではすでによく知られている。しかし、その朝日新聞が、国内では謝罪して記事の撤回を行ったように見せかけながら、英字記事では依然として「慰安婦が強制連行された性奴隷である」という印象を与える表現を使用し続けていることは知られていない。ジャーナリズムが、事実を検証し、真実を追求するものと考えるのは幻想にすぎない。この執拗な印象操作も辞さない工作機関のような新聞社が長く日本のクオリティペーパーと見做されて来た事実は重い。朝日新聞が今も続けるプロパガンダを具体例を示して解説する。
そして最後に資料編として、朝日・グレンデール訴訟(米紙謝罪広告等請求事件)の最終準備書面を追加した。慰安婦問題を引き起こし、日本の名誉と国益を甚だしく損失させた朝日新聞の大罪を追及する原告弁護団のロジックとこの問題の本質がご理解頂けるだろう。
日本国憲法前文にはこうある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
日本人は大至急夢から覚めなくてはならない。国境を一歩出れば、弱肉強食の世界が待っている。「弱さを見せれば、徹底的に攻撃されてしまう」「一度謝った人間に対してはどんなに攻撃してもよい」そんな、日本人には想像もできない苛烈な文化がすぐ隣に存在する。人類の進化のスピードは緩慢だ。第三次世界大戦こそまだ起きていないが、戦火が消えることはない。吉田茂は晩年の手記で、安全保障を米国任せにした結果、日本人が国防を自分のこととして考えなくなってしまったことに後悔している旨を吐露している。日本人は今、この国を自ら守る決意を取り戻さなくてはならない。
大げさだと思う方は、マイケルヨン氏の章を読んで欲しい。戦争は、兵器を交える前に必ず情報戦から始まる。そしてヨン氏が言うように、慰安婦問題は巨大な情報戦争の一端に過ぎないのだ。日本はすでに戦争に巻き込まれている。戦後すっかり洗脳された日本人は、自分たちさえ出ていかなければ戦争は起こらないと未だに錯覚しているが、世界情勢は日増しに危険度を増し、この文章を書いている間にもミサイルが頭上に飛来しかねない事態になってしまった。
戦争になれば、それが情報戦であれ、実戦であれ、必ず弱い女性や子供が犠牲になる。証言をくるくると変える韓国人元慰安婦の老婆たちに怒りを覚える人も多いだろう。自ら売春業を選んだ人もいただろうが、幼くして親に女衒に売られてしまい、ろくな教育も受けられなかった人も多い。それは日本の東北地方でも見られた悲劇だった。嘘は許せないが、彼女たちの境遇には心から同情する。しかし、かつて金儲けのために利用された彼女たちを、今度は政治的に利用する活動家たちを私は許せない。ヨン氏は、ソウルの日本大使館前の水曜デモで、挺対協の車から転げ落ちそうになる高齢の元慰安婦を目撃して胸を痛めている。そして、それら活動家の行為によって、今を生きる、何の罪もない日本人の母親や子供たちが傷ついていく。なんと罪深い行為であろうか。
北米で現地調査をした高橋史朗氏に詰め寄り、大粒の涙を流した現地邦人の母親がいた。思い余って、安倍首相に嘆願書をしたためた母親グループがいた。事実に踏み込んだ反論をしない日本政府に失望して、米国籍を選ぶ日本人子弟もいる。その一方で、「日系子女への苛めなんて都市伝説に過ぎない」とか、「関東大震災時の朝鮮人暴動のデマみたいなものだ」と主張する日本人もいる。私は嘆息して空を見上げる。私は自らの経験で、日本人の母親たちが、子供たちを苛めから守るために、中韓活動家の行為に憤りながらも、周囲の中国人や韓国人の親たちと軋轢を起こさないように細心の注意を払いながら生活しているのをよく知っている。そんな母親たちの涙ぐましい努力を最大限尊重しながら戦う困難な道を選択してきた。
歴史戦の姿を借りた情報戦の嵐が吹き荒れる現状を客観的に見れば、日本人子女に対する苛めが発生しても不思議ではない。それは確実に言えることだ。我々責任ある大人がすべきことは、苛めを誘発する要因を断って予防することであり、苛めが発生しているかいないかを巡って批判しあうことではない。私は自ら現地調査に参加して、この苛めの問題に明確な判断を下し、対策を講じる機会があることを願っている。そして、この本を手にとってくださった全ての読者の方に問いかけたい。「誰が日本の子供を守るのか?」と。