今世界中で注目されている豪州のクライヴ・ハミルトン博士の著作 Silent InvasionをAJCN山岡代表が解説した記事を掲載します。この記事は新潮45 9月号に掲載されました。10月4日にハドソン研究所で講演したペンス副大統領の、中国に対する最後通牒ともいえる講演内容にも大きな影響を与えました。米国でも読まれ始め、年内には日本でも山岡代表監訳で翻訳版が出版されます。全面戦争前の、あらゆる分野での小競り合い、軍事衝突が始まっているとペンス副大統領は述べ、このGrey Warを米国が始めたと宣言しました。この戦争の端緒は米中のTax Warでしたが、南シナ海での小競り合いも本格化しており、ここが主戦場になると豪シンクタンクも見ています。10月10日に行われた日豪2+2の会議もこの線で対中国戦略が話し合われました。日本のメディアが殆ど報道しないため、いまだ日本国内の日本人は安穏としていますが、豪州在の日系人の方々にはこの記事を読んでいただき、世界が大きく動き始めていることを肌で感じてもらいたいと思います。
シドニー市内の書店に平積みされるSilent Invasion |
今年の2月26日、オーストラリアで衝撃的な本が出版された。タイトルは“Silent Invasion(サイレント・インベージョン)”。直訳すれば、「静かなる侵略」だ。サブタイトルは「オーストラリアにおける中国の影響」。実は当初は「いかに中国がオーストラリアを属国化しているか」という、もっと率直なものだったが、版を重ねる過程で現在のものに修正された。
人口2500万人程度のオーストラリアで、発売以来2万部以上が売れたベストセラーとなっている。大手書店や空港の書店では現在も平積みされている。
著者はチャールズスタート大学のクライブ・ハミルトン教授(65)。名門メルボルン大学卒で専門は公共倫理。気候変動に造詣が深く、オーストラリア政府の気候変動調査機関の役員でもある。また、自らオーストラリア研究所というシンクタンクも創設している。2009年には社会貢献が評価されて叙勲した他、「緑の党」から連邦選挙に出馬し、次点となった。頻繁にメディアに登場し、政策への影響力を有するご意見番だ。そのようなハミルトン教授が出版した「サイレント・インベージョン」とはいかなる本であろうか。各章の要旨を書き出してみよう。
1. オーストラリアを周辺国と見なし、赤く染める中国の野望
2. 中国共産党の中華帝国再生の夢
3. 海外の中国系移民を動員し利用する政策へシフト
4. ダークマネー:巨額の買収資金
5. 取り込まれる大物政治家
6. 一帯一路に含まれるオーストラリア
7. 経済で誘惑し恫喝する中国
8. 膨大な人数のスパイと工作員、そしてハニートラップ
9. 政府や研究機関の奥深く入り込む中国人スパイ
10. 支配される大学と侵害される学問の自由
11. 文化戦争-移民先文化を破壊する中国人
12. 中国を支援し、肯定するオーストラリア要人
13. 自由主義を守る代償とは
ありとあらゆる分野で中国の浸透工作が進んでいることが書かれている。オーストラリアは中国共産党に「西側諸国における実験台」に選ばれたとハミルトン教授は指摘する。オーストラリア人に対しては経済的インセンティブが想像以上に威力を発揮すると気付いた中国共産党は、経済をテコにオーストラリアのエリート層を親中化し、アメリカから引き離す戦略を強力に推進してきた。それは大成功を収めるかに見えた。が、ハミルトン教授の本が強力なウェイクアップコールとしてオーストラリア社会に鳴り響いたのだ。
この、「静かなる侵略」の中身について、重要なポイントを詳しく見てみよう。
中華帝国復権の夢
福田康夫政権下の2008年に発生した、北京オリンピック長野聖火リレー事件を覚えている方も多いだろう。4月26日、聖火リレーが行われる沿道を4000人以上とされる中国人が埋め尽くした。彼らは巨大な五星紅旗を振りかざし、チベットを支援するグループなどに暴力行為を加えた。その異様な光景は日本人に大きなショックを与えた。
実は、この時同じことが南半球のオーストラリアでも起こっていた。首都キャンベラで行われた聖火リレーに、何千人という中国人、主に留学生が集合したのだ。そこにたまたま居合わせたのが、クライブ・ハミルトン教授だ。
ハミルトン教授は、沿道でチベットの解放を訴えるグループを控えめに支援していた。だが、そこに現れた巨大な「赤い群衆」は、その数の多さもさることながら、暴力的で、異様な攻撃的高揚感に溢れていた。彼らは猛り狂う集団と化し、チベットのグループを暴力的に蹴散らしたが、現地の警察は無力だった。
ハミルトン教授は、民主主義国家オーストラリアの首都で、言論の自由が特定の集団の暴力的な示威行動によってあっさりと否定された現実に大きな衝撃を受けた。そして、「何かが裏で起こっている」と直感した。
それから10年、あるオーストラリアの国会議員が、中国共産党と関係が深い中華系ビジネスマンから多額の献金を受け、中国政府に好意的な発言を繰り返したことが問題となり、辞任に追い込まれる事態が発生した。なんと、労働党と自由党という、オーストラリアの二大政党に対する最大の献金元が複数の裕福な中国人ビジネスマンになっていたのだ。当然ながら、それらの献金者は中国共産党と深く結びついている。
ハミルトン教授は不吉な予感が的中したことを確信し、本格的に調査を開始することを決意した。そして明らかになったのは、あらゆる角度から着実に実行されている中国共産党による浸透工作だった。中共は、オーストラリアの大地を赤く染め上げ、属国化しようと画策していたのだ。人口が少なく、開かれた移民政策と多文化主義を国是とする自由主義国家オーストラリアは格好のターゲット(餌食)だった。
調査を開始して、ハミルトン教授が最初に気付いたことは、90年代初頭における中国共産党の政策大転換だった。ソ連の崩壊と冷戦の終結は、中国共産党にとって、自らの正統性を共産主義の優位性に求められなくなった瞬間でもあった。求心力を維持するために中共が採用した方策はなんだったか。それは民族主義の高揚であった。それは下記の考え方に基づく。
「過去1世紀は、中国が傲慢な西欧諸国と残虐な日本人によって踏みにじられた屈辱の歴史であった。今こそ中国共産党の指導のもとで、偉大な中国を再建し、屈辱を晴らす時が来た」
これで説明がつく、とハミルトン教授は確信した。キャンベラ(および長野)に終結した「赤い軍団」は、まさに中国共産党が推し進める「復讐と民族再興」というストーリーに則った国民教育の成果だったのだ。
さらにハミルトン教授は指摘する。
中国共産党は意図的に、中国イコール中国共産党、という構図を作り上げている。つまり、トランプは嫌いだがアメリカは好き、という、民主主義国家なら当然の発想は許されない。中国を愛することは党を愛することだ。逆に、中国共産党を批判することは、中国人を批判することになる。だから、中共批判は民族としての中国人への攻撃であり、レイシズムだと強弁する。明らかなすり替えである。しかしこれは、人種差別に敏感で贖罪意識のあるオーストラリア人にとっては有効な圧力となりうる。それゆえ、ハミルトン教授は「サイレント・インベージョン」を書くにあたり、嫌中のレイシズムと非難されないように細心の注意を払わざるを得なかった。
歴史改ざん
では中国は具体的に何をしてきたのか。まずはここでも「歴史改ざん」である。尖閣にせよ、南シナ海にせよ、大昔から中国が発見し、占有していたと主張するのは定番になっている。しかし、中国の「世界発見史」は周辺地域に留まらない。2003年に胡錦濤がオーストラリア連邦議会で演説した際、驚くべき歴史観を披露した。
「中国人民は皆、オーストラリアの人々に友好的な感覚を持っています。遡ること、1420年代、当時の明王朝の船団がオーストラリアに辿り着き、以来、数世紀にわたって中国文化をこの土地にもたらし、地元民と融和的に暮らし、オーストラリアの経済、社会、そして多元的な文化に貢献してきました」
なんと、オーストラリアはキャプテン・クックやエイベル・タスマンより先に、中国人によって発見されたと言っているのだ。この論調は一過性のものではない。狙いを定めたら歴史の改ざんから始める。いつものパターンが発揮されている。
海外在住中国人の有効活用
そしてハミルトン教授によれば、中国共産党は、海外在住中国人に対する方針を、2000年から徐々に、2011年からは完全に切り替えたという。以前は国外に出て行った中国人には距離を置いていたが、最近では、海外の中国人を国益の為にフルに活用する。対象は、オーストラリア国内の100万人を含む、世界中に散らばった5千万人の中国人だ。これらの中国人をコントロールするための組織が党中央委員会から出先の国にまで作られている。その統制手法はマルクス・レーニン主義に基づき、毛沢東が開発した組織化手法だ。現地の社会に根付いた中国系移民を中国の国益の為に動員する。前述の学生動員はその一例だ。この手法に距離を置く法輪功やチベット独立支持派のグループは監視と弾圧の対象となる。
ここで留意すべきは以下の点だ。彼ら「赤い軍団」は普段は学生として普通に生活している。しかし、一旦、党からの指令があれば、このように組織化され、攻撃的な民族主義に高揚し、意見が異なる人々を暴力的に弾圧しても「母国の為に正しいことをしている」と信じて疑わない集団と化す。もちろん、巨大な五星紅旗や大型バスの調達は党が全面的に支援し、オーガナイズしている。世界のどこにいても、中国人である限りは、スイッチひとつで機動する装置の一部なのだ。ある中国人学者がハミルトン教授に言った。「中国人は、愛国的であれば何をしても許されると思っている」
冷戦時代のソ連を凌駕する中国共産党のスパイ活動
そもそも中国はスパイを多数活動させている。2005年にオーストラリアに政治亡命した元中国外交官の陳用林は、オーストラリア国内で1000人規模のスパイが活動していると語った。冷戦時代のソ連でさえ、数十人単位のスパイを潜入させることが精一杯だったのに、なぜ中国共産党はそのような膨大な数のスパイを潜伏させることが可能なのか?
それは、全く異なる手法が採用されているからだとハミルトン教授は説明する。伝統的な訓練されたスパイを送り込むだけではなく、前述のように、現地在住の一般人を幅広く活用する。裕福なビジネスマンを使って有力政治家に接近する。大学や研究所をプロパガンダ機関に転換する。学生を使ってデモを行い、反中国の活動家を弾圧し、法輪功のメンバーや、反中的発言をする学者や教師について密告させる。中国人企業家に重要拠点の不動産を買収させ、人民解放軍のフロント企業に軍事的に重要な港を賃借して管理させる。メディアを買収して、世論を親中に誘導する。エリート層には高い報酬や名誉あるポジションをオファーし、無料で中国に招待する。
もちろん、ハニートラップが多用される。豪州当局は数多くのハニートラップの事例を把握しているという。このように、官民一体となってありとあらゆることが行われる。それぞれの個人は日頃特段目立つこともなく、あからさまな違法行為もせず、一般市民として生活している。しかし、遠く糸が伸びた凧のように、北京から操られている。これはまったく新しい手法で、従来型のカウンターインテリジェンスを念頭に置いてきた豪州の関連機関も対応に苦慮している。
中共の手に落ちる大学とパンダハガーとなる著名政治家たち-北京ボブと呼ばれる男
この工作の成果として最も有名なのが「北京ボブ」である。
シドニーの中華街に隣接して、シドニー工科大学(UTS)という大学がある。この大学に、2014年5月、黄向墨という裕福な中国人ビジネスマンがUTSに約1億5千万円(189万豪ドル)の寄付をして、豪中関係研究所(ACRI)というシンクタンクが開設された。その黄の希望で所長に就任したのが引退した大物政治家、ボブ・カーだ。カーは労働党所属で、長くニューサウスウェールズ州の首相を務めたことで記憶されるが、引退前にジュリー・ギラード内閣で外務大臣も務めた。
開所式には現役のビショップ外相まで参加し、中国大使も出席したが、やがて、このACRIが出した報告書が、豪中自由貿易協定を肯定する根拠として、与党自由党によって多用された。協定の労働条項に懸念を示す野党労働党を牽制するツールになったのだ。そして、ボブ・カーは元々労働党に忠実だったはずだが、豪中自由貿易協定を徹底的に支持する立場を明らかにした。そして、中国への依存に懸念を表明する人々を「冷戦メンタリティ」と批判した。
これにはハミルトン教授も驚きを隠せない。なぜなら、1989年の天安門事件直後、ニューサウスウェールズ州の野党党首だったカーは、抗議に集まった1万人を前に、「マルクス・レーニン主義政党の一党支配は馬鹿げた時代錯誤だ。中国における複数政党による民主主義のみが血の惨事を防げるだろう」と発言していたからだ。また、2012年には外務大臣として、オーストラリア内の親中派を批判していた。このような変節甚だしいボブ・カーには、いつしか「北京(ベイジン)ボブ」というあだ名がつけられた。北京ボブは当然のごとく、南シナ海における中国の軍事基地化を強く支持し、ドナルド・トランプを猛烈に批判し、オーストラリアはアメリカと距離を置くべきだと主張した。完全に中国のスポークスマンと化してしまった。
ハミルトン教授は結論する。ACRIはまっとうな研究機関を装った、北京のプロパガンダ機関であり、その究極の目的はオーストラリアの政治と政策を中国共産党に有利に導くことだ、と。本来、学問の自由を本望とする大学の研究機関が金に幻惑され、存在感の喪失に悩む元政治家が、自分が完全に北京の手先になっていることも自覚せずに主導した。
北京ボブはその後、多くの批判と嘲笑を浴び、長年政治家として培った信用のほとんどを失った。
オーストラリアの反撃 - 遅い目覚め
このように中国は、武力ではなく、まさに孫子の兵法のように、戦わずして「静か」に社会を侵食してオーストラリアを属国化する作戦を着実に実行している。
オーストラリアは慌てて、1970年代以来、40年以上ぶりに、国会でスパイ対策関連法を見直し、強化するという議論を始めた。そして平成30年6月末、外国による不当な内政干渉を受けにくくするための法案が上下両院で可決された。法案では、外国の利益を代弁してオーストラリア国内で政治活動をするすべての人間に、その国との関係や活動内容などを事前に届け出ることを義務付けている。
さらに、外国政府に代わって企業機密を盗む行為を新たにスパイ行為として罰則の対象とする法案も合わせて可決した。これを受けて、ポーター司法長官は「オーストラリアの安全保障を脅かす行為を阻止するため、われわれが必要な手段をとり続けるという強いメッセージを送るものだ」とする声明を発表した。オーストラリア政府は、外国人からの政治献金を禁止する法案も年内の成立を目指すなど、今後も外国からの内政干渉には断固たる措置をとる構えだという。(NHK NEWS WEB オーストラリア議会 内政干渉を防ぐための法案可決 2018年6月29日)
しかし、中国の浸透工作はすでにかなり深く進行している。中国が簡単に諦めるとはとても思えない。ジ・オーストラリアン紙によると、去る6月、2015年に要衝ダーウィン港の99年間リース権を5億600万豪ドル(約410億円)で落札した、中国山東省のエネルギー・インフラ企業の嵐橋集団(ランドブリッジ)傘下のランドブリッジオーストラリアが、今後3-5年で数億豪ドルを投資して同港の拡張を計画していると発表した。中国人にとって99年は永遠を意味する。
また、教育分野でも浸食が進んでいる。世界各地の大学に孔子学院という教育機関を装うプロパガンダ機関が設置されていることは知られているが、シドニーがあるニューサウスウェールズ州では公立の小中学校に「孔子学級」なる機関が置かれ始めている。大学同様、資金難の学校にアプローチし、中国語や中国文化を教える孔子学級を設置する条件で資金援助をオファーする。中国政府に都合が悪いことは一切教えず、学校教育から排除させる。親の間では急速に懸念が広がっている。
これからオーストラリアでは共産主義対民主主義の長く苦しい戦いが続くだろう。必然的に、米中対決に巻き込まれていくことは避けられない。
ハミルトン教授が指摘するように、中国共産党が掲げる「中華帝国再生の夢」には、「復讐」という苛烈な概念が含まれている。常に、復讐という名の下に敵を外部に設定し、そこに国民の意識を向かわせるのだ。
評論家の石平氏によれば、日本はとことん憎むべき敵として利用し、幼少期から徹底した反日教育を行う、だから中国のエリートは、いつか日本を支配し、日本人を虐殺したいと考えているという。
日本にその自覚はあるだろうか?そしてオーストラリアに学ぶことができるだろうか?